自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

渡の思い出「さようなら日本。また来年」

さて帰米。息子は今回お小遣いで、自分の飛行機のチケットを買ったので、帰りの飛行場では、また来年くる。と話しておりました。

私は雪に慣れていないに、−5度の山形があまりに辛かったので、時期をずらしたいと思う。それは、山形県南陽市というところを息子と2人で歩いたのだけど、マイナス5度で雪が降り、私たち以外に誰も歩いておらず、ただ自分が踏みしめる雪の音だけが聞こえた。寂しーと思っていたら電柱にマイクが取り付けられていて音楽が聞こえた。洒落てるなー助かるなー寂しくないようにだなーと思ったけど、かかっている曲がディズニーランド閉園時にかかる「星に願いを」だったので寂しさ倍増。「終了!」ってか。怖すぎる。。。

成田では、ポケモンと撮影。

したいことは全て行った渡。もう悔いはないようです。私は事務仕事と、渡のお付き合いで少し疲れた日本旅行になりました。小さい時は、何の苦行か?と思うくらい渡とどこかへ行くと言うのは大変でした。けど、出かけないというチョイスはなく、自閉症の渡が私たちと違う社会や宇宙で生活するわけではなく、この地球上で生きていくのだから、社会のルールやマナーは守らねばならない。そう思って社会のルールを守らせながら、自閉症だからできないと言う言葉は使わないようにして、必死で子育てしていましたが、今回の旅行では、ほぼほぼ問題も起こさず、安全に楽しく旅行できました。信じて子育てしてたら、それなりに成長するんだなぁ。

さて搭乗。

私は次は3月は仕事で日本なので、頑張らねば。

離陸する飛行機。色々な思い出ができたなーと。

眼下に広がる成田の街。渡は、

「さよなら、日本。また来年!」と手を振っておりました。

今回の日本行きの前1年弱。渡は、Gymに通って筋肉をつけておりました。ジムのトレーナーからは、

「日本に行ったら、もうお母さんは重い荷物を持たなくても渡が全て持てるね」

と言われて、元気に"Yes!" と答えていたそうで、本当にその通りになりました。

トランクに私が手を触れることはパッキングの時だけで、全て運んでくれて、楽ちんな日本でした。

綺麗なお雛様もたくさん見れたし。さーて戻ったら、仕事が待っている。頑張るぞー。