アメリカに来た時、とにかく英語もわからなかったし、メニューを見せられても何が出てくるか、全く想像できなかった。サンドイッチだけは読めたけど、一番短い英語がくっついているものが、一番シンプルじゃないかな?と思って頼んだのがClub Sandwitch
まーこれだと私でも読めたし。というのもあったんだと思う。
どんなものか?っていうとこれです。
昔は、もっと大きかった気がするけど、今でも十分大きい。
これは、本当に驚いたけど、いまだに大好きな食べ物の一つです。
さて、MRIを隣町で撮ってきた私ですが、足の先生から、あたらに、半月板に強い先生を紹介していただき、そちらへ。足と言っても色々なパーツによって先生が分かれるという細分化されたアメリカ。すごいわー。
ここは、スポーツドクターがいっぱいいるところで、患者さんもユニフォーム着たまま、練習着のままの若い子ばかりがきていました。練習の間に抜けてきたとか、そんな感じです。老人がいない病院って久しぶりだー。サンノゼのプロのサッカーチームの担当医もされていたみたいです。
お医者さんもみなさんスポーツをされている人が多く、私の担当医は、テニスで、全米の上位まで上り詰めたことがあるみたいで、お会いした時もお腹なんて出てないし、もう筋肉あります、今からすぐに走れます!みたいな先生でした。
MRIの結果は、やはり、半月板がささくれていることと、関節の隙間が減っていること。
それを難しい単語を使わず、足の図を見ながら説明してくれておりました。娘が心配してついてきてくれたのですが、専門用語は日本語でもわかりにくいのですが、ゆっくり一つ一つをしっかり説明してくださったので、2人で、大感動。
あの先生、説明うまいねーと言っておりました。
ということで、3回ジェルを注射して、関節の間に隙間を作り、治していくという手法が取られました。
直ったら、走るぞ!と思う私でした。
ブログの更新が1ヶ月近く止まっていたのですが、書けなかった理由はただひとつ。「足が痛い……」それだけです。
実は、昨年11月に15kmを走った後、足に少し違和感がありました。念のため走るのをやめていたのですが、休んでも違和感が消えません。そのまま3月に日本で子どもたちと歩き回っていたら、なんと膝に水が溜まってしまい、現地で180mlほども抜く羽目になってしまいました。
日本の医師からは「アメリカに戻ったらすぐ病院に行くように」と言われたものの、こちらではなかなかお医者様の空きがありません。やっとの思いで4月に受診できました。
「MRIを撮らないと詳しいことはわからない」と言われ、その予約を取ろうとしたら、これまた10日先まで空きがない状態……。ところが、「モーガンヒル(Morgan Hill)という隣町まで行けばすぐに撮れる」というので、さっそく行ってきました。
私が訪れたのは、MRIやレントゲンなど様々な検査をまとめて行う、建てられたばかりの新しい施設でした。シリコンバレーの土地はどんどん値上がりし、人口も増えて、医療も飽和状態。新しいクリニックや検査施設をこのエリアに建てるのは、本当にコストがかかるんだろうな……という現実を身をもって体感しました。
最初にかかったお医者様から、「半月板なら、このあたりでこの人が名医」という先生へのリファーラル(紹介状のようなもの)を出してもらい、先日その専門医の先生に会ってきました。
検査結果はすぐにオンラインで確認できたのですが、どうやら半月板が「ささくれ状」になっているとのこと。
半月板に詳しい新しい先生が言うには、「骨の破片がどうも悪さをしていて、痛みを引き起こしているのではないか」とのことでした。半月板も傷めているけれど、より痛むのはその上の骨の接続部分のようです。
英語名は「Arthritis(関節炎)」。
厄介なのは、半月板が完全に「壊れた」というわけではなく、「ささくれている」という状態なこと。「そんなのあるんだ、聞いたことないわ……」という気分です。
さてさて、詳しい生活やその後の経過はまた後日。
日本で足を痛めた私。日本でお医者さんに、
「アメリカに帰ったらちゃんと先生についてね」
と言われていたので、整形外科の病院に行きました。朝一番の予約を取りました。娘が病院で
「足が痛いと階段とか、歩行とかモタモタしてしまうので」と心配してついてきてくれました。
待合室で待っている時に、元気な男性の人が受付の人に大きな明るい声で、
「あのさ、俺の誕生日ってX年X月X日で合ってる?」
って聞いていたので、
「えっ?自分の誕生日をわすれちゃったの?なんの病気なんだろう?」って思ってしまいました。若年性認知症になるには若すぎる感じの年齢です。
受付の人が笑うこともなく真剣に、
「それであっています」と答えたら
「レバノンから出てくる時にさー。誕生日をいつって決められたか、覚えてなくて」
えっ??そんなことになるの?と思うわたし。
多分彼はレバノンの内戦(1975年から15年くらい続いた)あの時に、巻き込まれた人だ!とわかりました。
彼は自分の誕生日を初めて会った病院の受付女性に聞くということが少し恥かしかったのか、顔を少し赤くしたところで、受付の女性が言いました。
「私の友達のお兄さんも親族も自分の誕生日がわからないっていう話をしていました。あの時は本当に大変でしたね」と話している。男性はちょっとホッとした顔をして受付手続きを終えました。
私は、戸籍がある日本に生まれ育立ち、自分の誕生日がわからなくなるということもなかったし、そういう人に会ったこともなく、今まで来ました。
なんか胸が締め付けられました。
やっぱり戦争って絶対にしちゃダメだよ。自分のアイデンティティまで失ってしまうこと起こるから。と思った日でした。
日本から持って帰ってきた日本酒をお友達と飲んだ。なかなか入手困難な日本酒もあります。開発リーダーも参加したので、各じざけのことは、詳しくはそちらのリンクをどうぞ。こちらに貼っておきます。
麒麟山 輝 (かがやき)
みむろ杉 木桶菩提酛 (きおけぼだいもと)
おらが純米 (純米吟醸)
かっぱ 特別純米 超辛口
この4本を飲んだわけすが、どれもそれぞれ完璧だと思うような部分があり、もう非の打ち所がない。かっぱ(←黄桜じゃないよ)明らかに麒麟山やみむろすぎとは違って、普段のみのお酒ですが、普段のみがこんなにスッキリ感があるのがいい。昔の粗野な感じのお酒かなと思ったら、飲んだら喉越しがいいし、あの酒臭さを感じながら、日本酒が飲める。
すごいわけだった。
おらが純米は福島からあまり出ないので、貴重。
いい日本酒会でした。
お友達と飲むお酒は本当に最高、お付き合いくださったお友達、ありがとーーー!!!また飲もうね。
明日のお弁当の献立を考えていたら、ふと高校時代の懐かしい出来事を思い出しました。
私が通っていた高校のクラスは、男子の数が圧倒的に多い、まるで男子校のような環境でした。
クラスの男子たちはとにかく食欲旺盛!2時間目が終わるやいなや、持ってきたお弁当を早弁し、お昼休みにはさらに学食へ行ってラーメンや定食を食べる……。それでも彼らのお腹は満たされないようでした。
そんな男子たちの中に、お母さんにいつも「もっとご飯をぎゅーっと詰めて!」とお願いしている子がいました。
彼が使っていたのは、アルミニウム製のお弁当箱。
プラスチックのタッパーとは違って頑丈なので、上からぎゅーっと押し込みやすい形です。彼も「これならもう少し多く入るはず」と思ったのでしょう。
毎日のように「もっとぎゅーっと押して、たくさん白米を入れて!」とお願いしていたある日のこと。
2時間目が終わった休憩時間、私の隣で早弁をしようとした彼が「あっ」と小さく声を上げました。
どうしたのかな?と思って見てみると、彼が困った顔で一言。
「……箸が折れた。」
たまたま学祭か何かの準備で、割り箸のストックを複数持っていた私は、彼に1膳譲ってあげました。彼はとても喜んでいましたが、私の頭の中はハテナマークでいっぱいです。
(なんで柔らかい白米を食べているだけで、あんなに硬い箸が折れるんだろう……?)
お箸を折って帰ったら、お母さんに怒られるんじゃないかな?と心配になり、翌日彼に聞いてみました。
「ねぇ、昨日お箸を折っちゃったこと、お母さんに怒られた?」
すると彼は、「いや、オカンは爆笑してた」と言うのです。
理由を聞くと、実はお母さんから衝撃の告白があったのだとか……。
「あんたがあまりにも『ぎゅーっと、ぎゅーっと!』って言うからさぁ……。私は、お弁当箱に山盛りの白米を入れて蓋を軽く置いたあと、その上に座って自分の体重をかけて、ぎゅーっと押し込んでたのよぉ。」
ちなみに、彼のお母さんはどちらかといえば「ふくよか」なタイプ。
そりゃあ、大人の体重でそこまで圧縮して白米をカチカチに固めたら、お箸も折れるわけです!(笑)
そんな懐かしい思い出が急に蘇ってきて、夜中に一人で笑ってしまったのでした。
日本の実家へ帰省していたときのこと。息子の渡と散歩から戻ると、お向かいの家の前で、郵便配達のバイクが倒れているのが見えました。若い女性の配達員さんが、重いバイクが倒れてしまい持ち上げられなくて動けなくなっています。散乱する郵便物。
慌てて駆け寄り、「助けますね」と声をかけると、彼女は私たちの存在に気づき、「いえ、重いですから」と遠慮がちに言いました。
「重いから、助けますね」
そう返すと、彼女の目に涙が浮かぶのが見えました。
昔のようなのんびりとした自転車配達とは違い、今の配達バイクには、制限の限界まで重い荷物が積まれているのでしょう。渡と一緒にバイクを起こそうと力を入れましたが、確かにものすごい重さです。幸い、渡は日頃からジムで筋トレを続けているおかげで、なんとか一緒に持ち上げることができました。
彼女が何度も渡に「ありがとうございます」とお礼を伝えてくれると、渡はなぜか英語でこう答えました。
「僕、筋肉あるから(I have muscles)」
私は、思わず心の中で「なんで今、自分のアピールやねん!」とツッコミを入れてしまいましたが、ひとまず彼女に
「ご苦労様です。本当に重いので気をつけてくださいね」と伝え、その場を収めました。
アメリカに戻った後、渡はこのエピソードを、大好きなジムのトレーナーさんに必死に伝えていました。言葉が足りない部分は、付き添っていたお姉ちゃんが通訳をしてくれます。
話を聞いたトレーナーさんは、渡にこう語りかけてくれました。
「自閉症の渡が、困っている人を見てすぐに行動を起こせたことがまず素晴らしい。そして、鍛えた筋肉を『人を助けるため』に使ったというのが最高に素敵だ。自閉症の人は、突発的な事態に気づいても、それを言葉にして助けを申し出たり、実際に動いたりすることに強い緊張を感じて、ワンテンポ遅れてしまうことが多いからね。渡、お前はすごいよ。さすが俺の親友だ!」
この言葉に、渡は誇らしげに満面の笑みを浮かべていました。
以前の渡であれば、きっとあの場で固まってしまっていたと思います。
けれど、言葉や文化が違う日本での滞在を通じて、「自分から話さないと通じない」という環境に身を置き、彼なりに挑戦し続けていたからこそ、あの瞬間、自然と体が動いたのかもしれません。
環境を変え、日常から飛び出す「旅」をすること。それは自閉症の彼らにとっても、大きな成長のきっかけになるのだと深く感じた出来事でした。
無事にアメリカに到着しました。
そうそう、成田空港で面白いことがあったので書き残しておきます。成田エクスプレスの中で、兜のお煎餅を渡に見せて、「こうやってかぶるものだよ」とか教えておりましたが、この知識が、すぐに使えるようなことが空港でありました。
セキュリティゲートを通り、制限エリア内にある本屋さん「改造社書店」の近くを通ると、広場で「日本文化体験コーナー」が開催されていました。
なんとそこでは、本物の兜などを試着させてくれるとのこと。 係の方の「どうぞ、試していってください!」という声に誘われ、渡がいそいそと体験に向かいました。
兜鉢(かぶとばち)だけでなく、胴や草摺(くさずり)まで本格的に着装させてもらい、まずは軍配団扇(ぐんばいうちわ)を手にポーズ。
次は刀を構えて。
こういう時のノリの良さを見ると、「やっぱり大阪の血が流れているんだなぁ」と、見ていて可笑しくなってしまいます。
軍配団扇には「風林火山」の文字があったので、本人的には(おそらく)武田信玄になりきっていたはず。もっとも、渡が信玄のことを知っているかどうかは怪しいところですが……。
まあ、本人がとにかく楽しそうだったので、親としては「よかった、よかった」と大満足。旅の最後に、素敵な思い出が一つ増えました。
朝からみんなで大浴場へ行き、さっぱりと身支度を整えます。湯船に浸かりながら香穂といろいろな話を送り、今回の旅行を振り返るひととき。 彼女は多くの友人に一気に会えたようで、大満足の様子でした。一方、ずっと一緒に過ごした渡については、成長を感じる場面もありましたが、生活面では「もう少し配慮して改善してあげたいな」と思う部分も見つかり、母としての課題も再確認しました。
さて、部屋の忘れ物を確認して、いざ空港へ。 空港には、各地で購入した日本酒や手土産を配送してあるので、到着後に最後のパッキングが待っています。移動は、バスが苦手な私のこだわりで「成田エクスプレス」。
渡は、お姉ちゃんの友達からもらった「こどもの日」の鯉のぼりせんべいパックを、それは大切そうに持っていました。相当嬉しかったようです。 なかでも大きな「兜(かぶと)」の形をしたおせんべいには大喜び。
私が「これは兜だから、こうやって頭に被るんだよ〜」とジェスチャーで見せていたら、それを見ていた後ろの席のアメリカ人が大ウケ!当の渡は「ふーん」とクールな反応でしたが、図らずもアメリカ人の方に笑いを届けてしまいました。
予定通り、少し早めに成田空港に到着。 パッキングは「私一人でやるわ」と言っていたのですが、結局、子供たち二人が手伝ってくれたおかげで、あっという間に終了。
最後のご飯は、渡が「うどん」、香穂が「お寿司」とリクエストが分かれたので、それぞれ好きなものを食べて無事に終了。二人とも、もう日本に思い残すことはないようです。
私はといえば、父にも会えたし、読みたかった本もいろいろチェックできました。何より、家族で久しぶりにゆっくり過ごせたことが一番。本当にいい旅行になりました。
帰ったら、またバリバリ働きます!(日本滞在中も、ちょこちょこ働いてはいましたけれどね)
さて、アメリカに向かいます。
さて、日本滞在の最終日です。明日の飛行機でアメリカに戻るので、今日が買い物のラストチャンスでもあります。
香穂はお友達とお昼に出かけたので、私と渡はのんびり大浴場に入ってから外出の準備。ランチは渡と二人で、東京駅ラーメンストリートの「ソラノイロ」へ向かいました。
渡が「どうしても最後に食べたい!」というラーメンにお付き合い。渡は醤油。
私は辛いもの好きなので、こちらをチョイス。
歩いていて気づいたのですが、東京駅には「ラーメンストリート」の他に「ラーメン横丁」といったエリアもあるのですね。「これは何だ?」と。次回の帰国までにしっかり調べておかねば。どこが美味しいのか、醤油系で辛いのが好きな私にはどのお店が合うのか……リサーチが楽しみです。
さて、最後に行きたい場所といえば、私にはあそこしかありません。渡も行きたいというので、目的地は決まり。
三省堂書店神田神保町本店です。 ここで長い時間本を物色していると、香穂からも「合流したい」と連絡があり、現地で待ち合わせることに。
あいにくの雨でしたが、お姉ちゃんが来るとわかった途端、渡は大喜び!慌てて1階まで降りていき、玄関でお姉ちゃんの到着を待っています。「お姉ちゃん、迷子になってるんじゃないかな?」と心配している様子。
……いや、立場が逆でしょ(笑)。いつも迷子になるのは渡の方です。どこまでお姉ちゃんが大好きなのか……呆れるくらい仲良しの姉弟です。
香穂も本が大好きなので、そこからさらに長いことお店を物色。色々買い込んで夕方になったので、一度東京駅経由でホテルへ戻ることにしました。
それにしても、荷物が重い。すごく重い!手が痛くなるほどの荷物を抱えて神田駅へ向かったのですが、ここで問題勃発!!
「荷物が重いから、しっかりついてくるんだよ」と神田駅の1階の改札を入る前に、渡に念押ししたのですが、時は夕方のラッシュ時間。神田駅のホームで「お口クチュクチュモンダミン」のメロディを聴きながら階段を上がったら、後ろにいるはずの渡がいないのです!
香穂と私で「何してるのよー!」と焦りまくりますが、姿は見えず。ホームに流れるモンダミンの曲が、ただひたすら悲しく響きます……。
香穂がダッシュで1階まで探しに戻ると、すぐに渡を発見。どうやら駅構内の看板をスマホで撮りまくっているうちに、私たちを見失ったようです。見つかった時の渡は、パニック寸前で必死に私たちを探していたとのこと。
見失ったのは1分足らずでしたが、「今生の別れ」にならなくて本当によかった。その後、香穂から「写真を撮るなら待ってって言いなさい!」とこってり絞られていました。
さて、大量の本は無事にホテルへ持ち帰りました。仙台でも購入しているので、「自分用の本だけで何冊あるの?」と子供たちに突っ込まれ、数えてみることに。
結果、ピッタリ50冊。 「まあ、これだけあれば半年は大丈夫かな」と思ったのですが、この時点で既に3冊完読……。本当に半年持つのか、非常に不安です。
さて、明日のフライトに向けて、これから3人でパッキングに挑みます!