自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

私が大腸ガン検診(内視鏡検査)を受けてみて、全てをぶっちゃけてみる

大腸ガン検診(大腸内視鏡検査)は、軽い挑戦のようなものです。ハイキングのような感じとでもいいましょうか。なんの準備もなく、ハイヒールでハイキングを突然開始すると大変なことになるのと同じです。大腸内視鏡検査もそんな感じです。


私は1回目の大腸内視鏡検査で、ポリープ(腺腫)を取ったお医者さんが止血(英語ではクリップと言われる)を忘れるというサザエさん並のことをしてくれて、大出血になってしまった。けど、ポリープをとれば、ほぼほぼ大腸ガンで死ぬということがなくなります。90%以上の確率で大腸ガンとおさらばできるという。
前回ポリープがあった私は、また大腸ガン検診をしましょうね、ということを医者からしっかり言われていました。悪性リンパ腫の末期を体験しているので、ガンの怖さは知っているので、受診しないという選択肢は私の中にはありませんでした。ただこの検診には

1.腸を空っぽにして挑まねばならない。
2.下剤薬の飲み方が辛い
3.術後、痛みなどの症状もないのに、突然出血になったりすることがある。
4.アポイントメントの時間はなるべく午前がベスト。(一番辛いご飯を食べれない時間を寝て過ごせる)

の4つの対処をせねばなりません。これは、お医者さんも助けてくれません。自分で工夫です。

 

では、まずアメリカで大腸ガン検診(大腸内視鏡検査)をうけた私の場合。
お医者様の処方する薬や、大腸ガン検診(大腸内視鏡検査)を受ける時間にもよってかわってくるので、全く私と同じというようにはならないと思います。なので、あくまでも参考程度に。

余裕のある人は1ヶ月前から汗を掻くような運動をして、1リットル近い水を大量に飲むことに慣れておくと大変楽に受けれます。(理由は後述)

一番にすることは、医者から出された薬を数日前にドラッグストアーに取りに行きます。これの説明書を前もってよく読みます。飲む前に突然読んでは、遅いこともありますので。
私の場合はこれ。

薬によって、お医師さんによって、食べていいものは異なると思うので、わからない場合はよく担当医に聞いてください。
よく内容を読みます。
大腸ガン検診(大腸内視鏡検査 Colonoscopy)を受ける前の日は、朝ごはんが最後の固形物になります。
その後、口にできるものは、
コーヒー、紅茶、レモネード、果肉がないアップルジュース、オレンジジュース、鳥スープ(濾過したもので具は食べない)、色のついていない果肉がはいっていないジェロ、ゲータレードなどがO.K.になります。色がだめみたいです。これ以外は口にできません。

ミルクは厳禁なので、まちがってもコーヒーや紅茶にミルクを入れないこと。

大事なことは、どれが暖かいか?だと思いました。
もちろん暖かくて飲みやすいのは、鳥スープ(チキンブロス)です。
なので、2日前には、鶏肉、野菜(人参、玉ねぎ、セロリ等々)を買い込みます。鶏肉は、コストコの焼いてあるのが一番めんどくさくないんじゃないか?と思いました。

<前日>
朝ごはんの時間です。なんだか、朝ご飯を食べたら24時間は固形物が食べれなくなるのかーと思ったら、一番好きなお店でクラブサンドイッチを食べたくなり。食べにいきました。


お腹が減っていた私はかぶりついて、なんだかすごく硬いベーコンがあるなとさらに噛み続けたら、おかしいな。と固いものを吐き出してみたら、なんと写真でもみえないように、サンドイッチが厚すぎるので爪楊枝が刺さっておりました。私はこの爪楊枝の先端についていた小さいセロファンと爪楊枝1cmほどを食べしまっておりました。あぁぁ、と思って、もし何か言われた時用に爪楊枝はお持ち帰り。(これは問題になりませんでした。ほっ。どこまでも何をしてもオチがつく私の人生....。)
さて、食べて家についたらすぐに鳥一羽を解体(鳥一羽にする必要はなく、ほねつきもの肉や足で大丈夫)脂っこいのが苦手な私は脂肪部分をとり、オーブンで焼きました。
その間に、野菜を乱切りにし始めます。鶏肉が焼けたら、そのままル・クルーゼの大型鍋(別になんでもいいけど大きな鍋)の中に鳥、野菜を投入。塩と胡椒で軽く味をつけて弱火で煮詰めていきます。

大量につくりましたが、私はあともうひとつの大鍋で2つ作るべきだったなと思っています。検査前はこのスープが私の命綱なので、2リッターでも足りないくらいでした。
スープができたら、おふきんまたはキッチンペーパーを引いたざるで濾します。
半分のスープを濾して、さらになべに水をいれて煮込みます。スープがふえます。(笑)
最低でも2リッターのチキンブロスが欲しいところです。(けど2リッターでも足りなかった)

さて、11時頃からお腹が減り始めるので、お昼になったら、飲んでいい食べていいものを食べます。私は鳥スープをトラベルマグにいれているので、勤務中もスープを飲み続けて、空腹はしのげました。周りがお菓子を食べてても、スープあるので大丈夫。誘惑には負けませんでした。この誘惑にまけないためにも、鳥スープをしっかり作るのは大事でした。
さて、夜から薬の服薬が開始です。服用書には、寝る前に飲むとかいてありますが、寝る前では遅すぎます。
というのも、箱に入っている16オンス(約455ml)のカップに、薬を1本いれて16オンスにして混ぜてのみます。これがまずい!すごくまずい!飲むのに30分かかりました。鳥スープを合間に飲みながらの服用。この薬を飲みきったらパッケージにはいっていた薬を飲むときにつかったカップで16オンスの水を2杯(約910ml) 1時間以内に飲みます。
なので、お薬を完全に説明書通りに飲み終えるまでに、私は1時間半かかるということが判明。これ、大事です(これは個人差があるので、必ず測ってください。この時間から明日の朝の薬を飲む時間が決まるからです。)
次も朝に同じことをくりかえすのですが、検査は8時で、検査の3時間前は水もなにもの飲めないので、逆算したら5時には飲み終えないといけません。
ということは、朝の3時半に起きて飲むのが吉。ということです。けど、スープを使って早く飲むコツをあみだしていたので、1時間で飲める自信あり!

になりました。

薬服用後、1時間くらいで、大下剤祭りが始まりますので、お手洗いの近くにいてください。
1時間くらいのお祭りがおわれば、眠くなって眠れます。
なので、薬を飲んでから体が落ち着くまでにかかる時間は、3時間半という計算。寝る前というより、夕飯がわりに薬を飲むのがいいと思います。

 <薬をのむコツ>
一気に1.5リッター近い水を1時間半で飲むというのは、運動も何もしていない人にはなかなか難しいことです。一番の問題は体が冷え切ること。
なので、この水の間に温かい美味しいスープをのむこと、紅茶やほうじ茶などを飲んでいいかお医者さんにきいて、味のあるものを水の合間に飲むことが大事です。
そうすれば、1時間半以内に水を飲むことができます。
あとは前述にもあげましたが、1ヶ月くらい前から、汗を掻くような運動をしていれば、水が美味しいと脳に焼きつくので、1リットリはあまり苦痛じゃないです。薬のほうが大変です。ただ何度も書きますが、体が冷えるので冷え性の方は、やはりスープをつくっておくのがいいです。普通のインスタントのブイイヤベースでもいけそうですが作った方がおいしいですよねぇ。

 

<食欲との戦いと腹痛との戦い>
食欲の戦いは、スープで乗り切れました。問題は腹痛がくるまでの待ち時間。お腹痛いのはいやなので、次に食べに行きたいレストランなどをさがしましたが、これはNG.お腹減ってきた。薬を飲んだあとは、頭はまわってないので、私の場合はこれを前回の寝込んだとき用に揃えていたので、これを読んでいました。

 

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<病院にて>
排泄物の調子や色をきかれます。「クリアーな色になりました!」がゴールなので、その通りなので伝えます。そうすると、ハードルはクリアーで、検査の説明がなされます。私はこのときに、お医者さんと看護婦さんに前回の医療ミスの件のタイムラインを書いた紙を渡しました

<検査>
点滴がうたれます。そこに麻酔があとから入ります。担当医と看護師さんと話したら、麻酔を入れられて、寝たのは朝8時43分。起きたのは9時半頃だったので、50分くらい麻酔が効いていますので、いつ検査がおこなわれたのか?などはわかりません。腺腫をとったことなどを告げられて、迎えに来てくれた人に乗せて帰ってもらいます。(車の運転は自分ではできません。お迎え必須です)

 

<検査後>
1週間は、飛行機にのれません。国際出張などは入れることはできないので、スケジュールにはよく気をつけます。私の説明書には、2週間はのれないと書いてありました。たしかに出血がはじまったら、国際線にのっていたら、飛行機をハワイかどこかでとめないといけなくなりますから。破産になる飛行機旅行になります。
お酒と運動は次の日から。排泄する時は血が出ていないかよくチェックです。少しでも出血があったら、医者にとにかくすぐに連絡するのがいいです。早め、早めに手当しないと私のようにあぶなくなってしまいます。運動は次の日からしていいそうですが、ハードな腹筋など腹圧がかかるものはすぐにはしない方がよさそうです。
検査後は食べ物も急に固形物の固いものはあまり良くなさそうなので、昨日作った鳥スープの具がここで非常に役に立ちます。

 

以上が大腸内視鏡検査の報告ですが、私のおおすすめは、月曜日の朝にするのがいいのでは?と思います。日曜日だと鳥スープもつくれるし、家でごろごろしながら、夜も安心ですし。なにかあっても火曜日から金曜日は病院が開いています。大腸内視鏡検査は、割と標準的な検査にはなっていますが技術は必要なので、いいお医者さんにかかること、何度もやったことがある先生にかかるのがいいと思います。先生選びが大事だと思います。

あぁ。ここまで下剤がどうだとか、排泄物だとかぶっちゃけたら、もう嫁にいけないけど、もう行かないだろうから、いいや。(笑)みなさま、大腸ガン検診はぜひおこなってくださいね!

私が大腸ガン検診(大腸内視鏡検査)で危篤になった話

なんか、死にかかる話ばかりになってしまいますが。

3年前の話です。ホームドクターから、
「なにもないんですけど、そろそろ大腸ガン検診(大腸内視鏡検査)しましょうか?」という話になりました。
子宮摘出もしているし、大腸近辺はなんとなく大事にしておこう....と思った私。二つ返事で
「やりましょう!」
と答えました。まさかこれが、すごいことになるとはおもわず。
大腸内視鏡検査の仕方などは後日書きますが。

大腸ガンとは、
男性はおよそ11人にひとり、女性はおよそ14人にひとりが、一生のうちに大腸がんと診断されています。
大腸がんは女性のがんによる死亡数の第一位です。
男性では26,818人、女性は22,881人の方が大腸がんで亡くなっています。(2015年)
  出典:人口動態統計2015年(厚生労働省大臣官房統計情報部編)

ということもあり、女性のガンによる死亡数第一位ということは知っていたので、うけた3年前の大腸内視鏡検査。
腺腫(ぞくにポリープといわれるもの)というのは3割から4割弱の人にみつかるもので、これをきりとっておけば、ガンになる確率がグンと減るというものです。
私も見つかったので、切って取ってもらったのですが、なんと切った後に縫合するのを忘れたお医者さん。
いやどんな人間でも内蔵をきられて、縫合忘れたら出血しますぅ....。
検査から2日後に、トイレにいくとなんか、きれいな血が混ざった感じがしたので、たまたま
「順調ですか?」と電話してきた、お医者さんの看護師さんに
「なんか出血したみたいなんですが。」量と色をきかれて
「おやゆびのつめくらいで鮮血」とこたえたけど、相手にされず。
だんだん出血がふえて、最後は、大量出血が20回以上あり、病院にいってからも、なかなか手当がされず、手当された時には、もう大出血が起こっていて、全身が痛くなり、手の指が人間が想像できない方向にまがったりして、心臓が痛いのなんのって....。

医者が何人も病室にやってきて、看護師も複数やってきて大騒ぎの病室でした。

私は、ただひたすら、大声で、

「私は死ぬの?死ぬんだったら、渡のことを香穂に指示を出さないと」

と叫びまくっていましたが、誰も死ぬとか、死なないとか教えてくれませんでした。だって、危篤だったから...。
結局、輸血をして乗り切りました。

なにもなかったところからも、死にそうになる私。完全な医療ミスですね。
こんな事件があってから、今年で3年目。最近行ったこの大腸内視鏡検査の話は、近日中にブログにあげます。

大腸ガン検診、みなさん、必ずやった方がいいですよーという話です。しっかり準備すればするほど楽です。

待ちに待ったSt.Patrick's Dayでございます!

毎年この日は、待ちに待った日でございます。アイルランドのおじさんの妖精のレプリカンは虹の麓で金のツボをもっているので、捕まえないといけないし。と思うのだけど、開発リーダーは、レプリカンを2年前まで知らなかった。お話は→

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で、うちの会社はこの日は走る日です。なぜ走るかというと、St.Patrick's Day は、ビールでお祝いする日なので、マラソンにでると到着時にビールがもらえるというランニング大会があちこちで行われます。

こんな感じ。私は練習もあまりしないで出たので、成績が女性全体の15 位でしたが、なんと開発リーダーは、男性総合の2位をでした!Yay!

最近、体幹を鍛えまくっているリーダー、さすがでございます。

私は年齢別では、3位だったので、(ということは、同じ年齢グループの人が15位以内に3人もいるという、おそるべし....の元気すぎる私と同年代の年齢別グループ)頂いたのは、簡易のペットボトル。

ゴールで頂いたビールを手にする私。メダルより嬉しかったりする。

リーダーは男性総合2位(年齢別ブループ1位)なので、簡易ペットボトルのほか、総合2位の賞品も。

カリフォルニアらしく、ワインでございます。おめでとう!!!!

ブリトーなども配られて、

ビールも飲み、お腹いっぱい。

いい1日でした。

Happy St.Patrick's Day!

 

お姉ちゃん、お帰りぃ!お仕事を頼まれるのが大好きな渡

お姉ちゃんの香穂が、事務雑用仕事を片付けるために先週末に帰省してくれました。

渡は、もう大興奮。数日前から、聞いていたのですが、メッセで、

「帰ってくる!」

と何度も言い、指折り数えて待っておりました。

さて深夜に帰宅した娘。

空港に迎えに行って大喜びの渡。

朝、早くから起きて、一緒に朝ごはん。

がっつり食べて大喜びでした。けど、この時は、まだこの日1日が怒涛の日になるとは思わず...。

大量の事務仕事を終えて、夜遅くなりやっと夕飯と思った時は、親子でヘロヘロです。夕飯難民になるかなと思っていたのですが、なんとか空いているレストランを見つけて、ごはんにありつけました。

こんなものをいただきました。

食べながら、会社のことや仕事のこと、通勤のことを話していて、今の家から仕事まで片道2時間半かかるので、なかなか大変だと話しておりました。すでに入りたい家は決めていて、そこがあくまで待つんだよねーといっていたら、渡が

「僕が、絶対に引っ越しは手伝うから」

とお姉ちゃんに売り込みを開始。こうやって箱を運ぶんだとジェスチャーで話しまくる。

「じゃ、お願いね」と言われて、渡はもう大喜び。お仕事頼まれるととにかく嬉しい渡。

私だったら。兄弟の引っ越し手伝いを頼まれても「えっー。めんどくさー」と思うけど、なんだか仲良しだねぇ。渡はとくにお仕事を頼まれるのが大好きです。

次の帰省は、IPP(個人プログラムプラン)かなと言いながら、次の日お姉ちゃんを空港に送り届けました。

さて次は5月だね!

 

最終回 私が悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話。がん患者の周りの人にお願いしたいこと

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージは(末期)でした。グレードは2でした。

 

合計8回の免疫治療が終わり、20184月に先生が

「由美は僕の患者だけど、これからは、君は僕のがん患者でないからね。再発は医学的にはあるといわれているけど、僕の患者で、このがんを再発した人はいない。もし15年後、20年後、由美がガンになったとして、あなた自身がそれを再発といいたければ、再発になるけどね。僕は君は再発しないと思うよ。」

といわれて、

「がんだからというのではなく、これからは老いていく。これは誰もが老いるのだけど。健康でいないとゆみには、渡もいるし。運動はがんばってつづけてね。薬は秋までは、飲んでね。」ということでした。

 

そうかー、なんか目標にしないと私はサボるだろうなー。と思い、2年後に5kmマラソンで年齢別グループで優勝しよう!と思い、練習することにしました。また走りはじめました。けど1ヶ月後の5月に年齢別グループでの優勝達成。マッシュルーム・ランという地元の大会だったので、トップで走った私は、マッシュルームをいただきました。

これは小さいマラソン大会だから、達成したのだと思い、今度は大きなスタンフォード大学で行われるマラソンにも6月に出場。けど、こちらも年齢グループ別グループで目標達成。

完治後から3ヶ月後に運動の目標を達成してしまって、えっ?生きてていいの?やばくないか?サボってしまう.....と思ってしまい(笑) いまは渡と平日は毎朝40分泳いでいます。1年間は続けたいというのが今の目標です。現段階では10ヶ月続きました。

 

さて、このがんを経験して、私自身が元がん患者として周りの人にお願いしたいことがまとまってきました。

がんは早期発見、早期治療で治る確率がぐんと上がる病気で、大変身近な病気です。私のようながんでも治療すれば元気に生活できています。

 

1.子供を育てている家族の方へ(がん患者じゃない人たちへ)

とくに小さなお子さんを育てているお母さんへ。

旦那さんは必ず有給休暇をとってでも、奥さんを健康診断に行ける環境を整えてあげてください。お母さんは健康診断の予約を必ずとってください。夏の旅行、冬の旅行の計画より大事です。家族がお父さんが子供を預って、必ず1年に一度の健康診断をうけること、何よりも大事です。とくに子供がママっ子で、はなれられない子供がいるママたちは検診に行きにくいので、なにをおいてでも健康診断に行ってください。がんが進んでしまって、あの時に行けばよかったと思っても、時計の針を戻すことはできません。誰かがかわりに自分のがんになってくれることもありません。がんは小さいうちにみつけるのと早く治りますし、体の負担も時間の負担も大変少ないです。

 

2.がん発見をキットを取り寄せて、がん検診をおこなうのはやめる。

乳がん発見のキットを取り寄せて、がんを見つける、といかいうことは、やめましょう。

なぜなら、がんが発見されたほとんどの人は、「別件で」病院にいき、がんが見つかっています。乳がんだけがガンではないので、お寺や神社の「お参り」のように気軽に病院にいって、いろいろな検査をうけていれば安心です。若い人で乳がんのキットと取り寄せて、安心なんていうのをやる方がいますが、全然安心じゃないですので、きちんと1年に1回は、病院に行きましょう。

 

 

3.職場の方へ

免疫治療、抗がん剤治療は大変免疫力がおちるので、風邪などの感染症にかかったりすると大変なことになります。なので、満員電車にのせず、時差出勤ができるようにするとか、ギューギゅーにつまったようなオフィスのフロアで働かせるなどはやめてほしいです。風邪で熱があるけど、仕事で....と出勤する人がいますが、その頑張りで、他の人の命が危険にさらされることがあります。アメリカではガン患者が休むことなく、オフィスに通いながら免疫治療や抗がん剤治療をする人が多くいますが、それは熱があるのに出勤してくるような人がいないこと、時間に比較的に縛りがないこと、他の人との机の距離があることなどがあるからです。

患者さんご本人とよくよくお話して、お医者さんの意見も聞きながら、安心して治療が受けれる環境を準備してあげてほしいと思います。

 

4.友達からがんの告白をうけても

 驚かない。感情的になって泣いたりしない。無責任に「なおるよ。頑張れよ」などといわない。さらに、治療方法に介入しないのがいいかと。専門家にまかせ、患者ご本人の命ですので、納得のいく方法を医者と話し合うのが一番です。なにかできることはある?子供の送り迎えとか、ご飯は?仕事は?などの生活の方のお手伝いを聞いてあげるといいかもしれません。私は友達とバカな話しをして笑っている時間が一番楽しかったです。免疫治療の日にお友達が昭和の時代の「遠足弁当」をつくってくれたのも大変うれしかったです。

サポートグループのサイトなどはここにありますので、アメリカでは、こういうサイトをおしえてあげるのがいいと思います。

www.yumikubo.com

 

5.家族の方

治療中は患者本人が一番不安です。精神も安定しません。不合理なことなどを口走ったりすることもあると思いますが、「あまえるところが、家族しかない」人が、そういうことを言う場合が多いので、やり過ごしていく手段をさがしだしておくといいと思います。

あと患者本人の体調の変化は、経過観察などはせずに、すぐに病院と連絡をとり、手当をしてもらうのがいいです。なにもなければ、なにもなかったで安心ですし、免疫力が落ちている分、体調が悪くなると転がり落ちるように悪くなる時もありますので。

 

 

以上は思いついたものです。

私の場合、がん発見から完全に免疫治療がおわるまで1年。薬の服用などは1年半でした。この間、体はなんとなくだるいです。がんの種類や発見時期によってもっとかかる人もいれば、短い人もいるでしょう。けど、免疫治療もそうですし、薬の服用中もなんとなく体はだるく、疲れやすですし、なにかあたらしいことをしようという気力が湧きにくいです。はたからみると、だらだらとした生活になってしまいます。チコちゃんに見つかったら

「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」

と怒られるようなぼーっとした感じになります。暖かく見守ってあげてください。

 

さて私の闘病記はこれでおしまいです。

 

同じようながんの方でもっと話しが聞きたいと言う人はどうぞ、ご連絡くださいませ。

私の体験談でよければ、いくらでもお話ししますので、どうぞ!

ということで、サバイバーになってしまった私。 よし!元気に生き抜くぞ〜!!

11.私が血液のがんの悪性リンパ腫の末期だった話。順調に進む治療と思いきや、緊急病棟にかつご込まれることになる。

2017713日の木曜日から、週に1回スタートした私の免疫療法。毎週木曜日の朝8時には病院に行き、腕に点滴の針をいれられて、1回に3袋ほど生理食塩水?か何かに混ぜられた薬を投入します。最初は8時間は掛かっていたこの点滴。行くたびに、どんどん点滴を入れる速度が上げられて、6時間で終わったりとかなってきました。速度が上がるたびに、なんだかしんどさが増している気がshて、心臓がドキドキすると思い、看護師さんに「時間は1日とってあるので、ゆっくりいれてください。仕事も大丈夫です。」とおねがいしました。けど、4回目の点滴の83日の治療のあと。この日の点滴は4時間半とかで終わってしまって、おわってから、ずっと心臓が痛かったのですが、夜中に最大に痛くなってきた。

さてどうしたらいいのか?困ったなと思ったけど、通常、どういう動きをすればいいのか?がわからず、まずは看護師でキモセラピーのライセンス(抗がん剤治療ですね。免疫療法も医学的には抗がん剤治療と同じ扱うになります)を持つお友達のところに電話。

彼女がテキパキを指示をしてくれました。

とにかく治療中なので、心臓が痛いというのは、非常に危険なこと。すぐにいつも免疫治療を行なっている病院の救急に行くこと。などが指示されました。

そうかー。緊急かー。高いんだろうなぁ。と思いながら、おろおろしていると、お友達も病院に向かうので、病院で落ち合いましょう。これは危険かもということで、香穂も参加というか香穂に運転してもらって連れて行かれる。

私はお友達がたまたまキモセラピー(抗がん剤を扱えることができる看護師)のライセンスをもっていたのですが、やはりこういうお友達がいなくても(笑)、免疫治療中、抗がん剤治療中は、体調が少しでもかわったら、緊急にいくというのは必須の行動のようです。

 

朝にお友達に電話したので、そのまま朝に病院にいきました。とにかく免疫治療中は抵抗力がよわるので、すぐにマスク。院内感染をふせぎます。

私が免疫治療中だとわかった瞬間に、もう看護師さんが複数、アリが砂糖にむらがるかのようにあっという間に私の体にむらがり、えっ?と思うまもなく、両腕に腕に針を刺した。右手からは採血の針。左手からは、点滴を打つように針をさしています。それで違う看護師さんは、私に患者タグをつけている。他の看護師さんは、あれよあれという間に熱と血圧を測ってるし。この間数分。

 

すぐに緊急の部屋に通されて、着替えさせられ、あっという間に患者のできあがり。

管だらけになりました。

いろいろしらべまくりましたが、なにもないとがわかって一晩病院にいて帰ることになりました。どうも私の血管は昔から他のひとより細いので、それも原因のひとつではないかと。とにあく。「あー。どれだけ請求が来るんだろう?」とおもいましたが、どうもがん治療の最中の変化は、私の保険の場合は全てカバーする模様でした。

すぐに先生とのアポイントメントになり。次からは、予防のためにおこなう免疫治療(やることは治療と同じ。)は間隔を開けて行われるので、絶対に早く薬をいれないことと、針はベービー・ニードルという一番細い針を使うことが決定されました。

 

<この治療時期に回りができる配慮>

免疫治療中は、とにかくだるさがあります。抗がん剤はつかったことがないので、わかりませんが、1日椅子に座っているのがハードな日があります。それで、免疫治療を打った日は、元気なのですが、その次の日に薬が抜ける頃に、疲れがどっとでてくる。なんか興奮剤が抜けるような感じです。カフェインきれたーみたいな感じ。

免疫がおちてきているので、疲れやすい気がします。もし回りにがんの治療をしている人がいたら、回りができることは、下記のようなことです

 

1.水疱瘡の人が自分の家族などにいたり、水疱瘡の人に会ったりしたことがある人は、2週間は、免疫治療患者には会わない。

 

2. 免疫力が弱いので、軽い風邪でも風邪などの症状がある人は、近寄らない。お見舞いに行かない。(私のがんは、亡くなる場合は、がんで死ぬよりも、感染症で肺炎になったりで亡くなるケースが多いです。)

 

3.職場では、満員電車に乗せることはないように(感染症予防)

 

4.本人の意見を聞きながら、あまり人が密集していない場所で、仕事をしてもらう。

グループで顔を向かい合って座る席ではなくて、はなれたところなど(ただチームの仕事をしている場合は、むずかしいので、あくまで、本人の意思と医者の意見を参照に)

 

5. お見舞いには、子供などをつれていかない。(患者の子供などではなく。お友達のお見舞いの場合は、自分の子供をつれていかない。)子供は意外に病気を運んだりしますので、行く場合は、なるべく会いたい人が一人で行くようなのがいい感じがします。免疫治療薬をうっているときに子供の相手は結構ハードかもです。

 

6.免疫治療薬を打ってしばらくはぼーっとしますので、大きな判断がいるようなことをすぐに判断しろとせまらないこと。とくに家庭や子育てのことなどは、日常のことですが、仕事のようにルーティン化できるものではないので、判断がどうしても遅くなる。

 

以上のようなことが、思いついたことです。患者側からも、回りからもお互いにこのようなことを発信し、みんなで考えながら、治療中を過ごすのが理想なのだろうな。と思います。お友達、ありがとう!

閑話休題。私が幸せを感じる時

早朝、渡とプールにいってきました。平日の我が家の風景です。渡は4時50分に起きて、家のリビングと廊下、自分の部屋の床を綺麗に磨いて、プールの用意をしてから私とプールへ向かいます。

更衣室に到着し、シャワーをあびようとすると、なんと暖かいお湯が出ない。水のシャワーです。えっ....どうしよう...と思ったけど、プールに入る前にはシャワーというのは、幼稚園でも習うことだし。と思い、エイヤ!でシャワーを浴びてプールへ。しっかり泳いだのですが、やはり冷たいシャワーはお腹にきて、1日お腹が痛かった。

夕方、仕事を終えてから家に帰ったら、どうも渡も同じで、お腹が痛いらしい。

なので、夕飯は二人で、向かい合って二人とも祖母(渡からみると、ひいおばあちゃん)が作ってくれたはんてんを着て、暖かいにゅうめんを頂きました。質素な夕飯。あぁあーやらかしたなぁぁぁ.....と思いながら二人で「おいしいねぇ。おいしいねぇ」と食べるにゅうめんは、むちゃくちゃ美味しかった。あぁ。幸せだー!幸せだーー!!と思った夜でした。

10.私が悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話。ついに始まる治療

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはでした。グレードは2でした。

先日の告知から、まだやり残した検査がありますので、それをこなします。私にとって一番の鬼門だった骨の一部を取って骨までがんが浸潤していないかという検査もしました。検査結果は見事にアウト。骨までガンが浸潤しておりました。ここで正式に、末期ガン患者確定でございます。けど、この検査、痛いという先入観がありすぎて怖かった気がする。で、娘の大学院のお友達に会うことがあり、彼も骨の一部をとる検査をしたことがあるという話で、「いやーあの骨を取るの嫌だよね」と子供のように娘の友達に散々愚痴る私。けど、今思えば、麻酔がきいてるので、精神的に怖がってしまって痛かっただけの気もします。

他にも様々な検査をうけ、保険会社が免疫治療薬を使っていいというお達しが届き、やっと告知から2ヶ月後の2017713日。免疫治療が始まりました。

 

免疫治療を受ける前に、告知の日や検診の日に先生や看護師にリクエストすれば、免疫治療を受ける部屋(Infusion center)は見学させてもらえます。私はリクエストしなくても

「ねぇ、見る見る?綺麗だよー。先日、リニューアルしたのよぉ。椅子も新しいものが入ったからさ!」といわれて、見せてもらいました。免疫治療も医療の世界ではキモセラピーといわれて、抗がん剤治療の一部にはいります。

Infusion center(抗がん剤をうつ部屋)と呼ばれる部屋の見学説明としては、皆さんが普段着で来ていることも拝見しましたし、食べたいものなども何をもってきてもいいし、何をいつ食べるか?なども制限もありません。好きなお菓子をもってきてもいい、好きなだけ食べてもいいということでした。Macbookを持ってきてお仕事をしてもいいし、本読んでもいいし、音楽きいてもいいし。とにかく、部屋をでなければ、何をしてもいいということでした。天国。

椅子は、リクライニングできて、ベットにもなり、シート自体に暖房が入ります。熱ければ消せて、温度調節ができます。自分にかけるシーツも温められたものが、かぶせられます。点滴するので、体温がさがるからの配慮じゃないかな?と思いました。大部屋のような部屋で、大きくて綺麗なお手洗いもあり、窓の外にはこんなに綺麗な庭が。この庭を眺めながら、免疫治療をするのねーと思っておりました。

ベットは眠い時はカーテンを閉めてしまえば、隣は見えません。

 

免疫治療開始前は、まずはAcyclovirという薬を数日前からのみはじめます。これで感染症などを防ぐようです。日本の倍量のむので、結構だるい。このお薬とはこれから約1年のお付き合いになります。

あと、気をつけないといけないことは、感染症。特に水疱瘡が罹患し時は非常に危険なので、とにかく水疱瘡にはかかるなと。それだけと強く、強くいわれました。

 

さて、免疫治療の前日です。私はこの免疫治療を通院というとなんか暗いなーと思ったので、「遠足」と呼ぶことにし、トレダージョーや日本のスーパーにいって大量のお菓子を買って臨みました。あとは、7時間以上かかる点滴治療に耐えれるように本とiPadを準備。iPad はサポートグループからいただいたものです。ネットもあるので、メールもできるそうです。お昼ご飯は、部屋からでれないので、娘が病院のカフェで買ってきてるれることが決定。彼女もつきそっくれることになりましたが、渡のおかえりの時間には、バトンタッチで開発リーダーがきてくれることになりました。お仕事の報告も兼ねて来てくれるということで、もう一安心。

 

さて、当日。病院に到着。Infusion Centerにいって、自分が座りたい好きな椅子を選びます。腕を温めて血管がでやすくして、それから点滴用の針が刺されます。

アレルギーどめのお薬を飲まされます。私がうけるリツキサンというお薬は、血液のがんの人たちにはよく効く薬ですが、アレルギー反応が出る人がいるそうです。それを抑えながら投薬しないといけない場合もあるとは説明で聞いていました。さらにアレルギー反応が抗ヒスタミン剤でも収まらない場合は、この治療は諦めて、他の治療に移るということでした。なので、第一回目の治療は、非常に大事。しっかりとみんなで目を光らせてうけるという感じです。

アレルギーの薬を飲まされて、一気に眠くなる私。もともと健康体で薬もあまりのまないので、薬が効く効く。椅子にも暖房がついていて、ほかほかしてて天国。こんな感じで治療をうけるのだけど、もう目がとろとろ。

こんなに気持ちいいんだったら、ずーっと治療していたいと思うほどです。

すでにアレルギーどめ薬がきいて、眠くて起きていることは不可能です。ふわふわしていて、いやー寝ていいんだ、幸せ、幸せ。いままで多動の渡を育ててて、どれだけ寝てもいいよ。なんていうことはほとんどなかったので、もうこれは神様がくれたおやすみの時間だと感動するくらい、うれしい。寝よう!寝よう!!

娘に「アレルギーがでたら、すぐに看護士さんを呼んでね」と伝えて、「わかってるよぉ。そのためにいるんだし」と言い返された言葉が最後まで聞こえない。もう爆睡。治療のこの部屋には、付き添いは一人しか入室はできないので、娘の携帯にテキスト連絡がはいって、お友達がいれかわりたちかわりお見舞いにきてくれたのだけど、とにかく目が開かない。震えるくらい眠い。ほとんど誰とも挨拶できずです。きてくださった方、ごめなさい。しょうがないので、もう抵抗しないで、寝ているとしばらくすると頭が痒くて目さめた。とにかくかゆい。無性に痒くてしょうがない。

目を覚まして娘に

「あのさ。今朝、頭あらってきたのに、頭がかゆい。どうしたんだろう?」といったら、娘がすぐに

「だめだ。アレルギー反応がでたんだ!!!!」といい、すっとんで看護士さんを呼んでくれました。看護師さんもあわてて「どこどこ?」とみて

「頭ね」といっていたけど、顔や首などには出ていないので

「じゃ、今、点滴で入れている分のお薬がおわったら(薬は何袋かにわけて体内に注入する)一旦止めて、アレルギーどめの薬剤(抗ヒスタミン)を今度は点滴で入れましょうね。」となりました。看護師さんが私のところからはなれて、アレルギーどめのお薬を手配している間、なんだか背中もかゆい。かゆい、かゆい、かゆいーーーとなってきました。

娘に

「背中もかゆいよ」といったら、見せてみぃ!といって、Tシャツをめくりあげて背中をみてもらったら、もう背中に蕁麻疹のような薬疹があったそうだ。なんだか、ハイヒールで女の人が歩いた後のアカデミー賞のまだらなふみつけられたレッドカーペットか?という感じで赤かったそうだ。また娘がすっ飛んで看護士に

「母、背中にもすごくアレルギーが出ました!」というと今度は複数の看護師があわててやってきて、すぐに投入しているリツキサンのお薬を切ったので、警報音がなりひびきます(大した音ではなかったはずだけど、半分眠っていた私にはそう聞こえた)バタバタとすごい速さで看護士さんが薬を入れ替えて、今度はアレルギーどめ(抗ヒスタミン)注入。

「えっ?もうあの薬うてなくなるの?抗がん剤にかわるの?治療のスケジュールもかわるの?」と焦りまくる私。娘もそれを察して、

「これだけアレルギーがでたら、今後はどのようにな手順で進むんですか?」と聞いてくれました。看護士さんたちは

「担当医には、連絡をしましたので、こちらにくると思います。それで、このアレルギー剤が効けば、このまま治療をすすめますが、きかなければ、一旦治療は中止です」とのこと。

いやーアレルギー止め効いて!お願い!と思うけど、睡魔に勝てず。もう寝落ちするゥゥゥとおもっていたら、

「あっ。すごい背中、色がおちてきた。アレルギー反応がなくなってきている。」という娘の声が遠くに聞こえる。眠い、だめだ。とにかく大丈夫そうなんだということがわかると眠くて意識がなくなる。数十分だったと思う。看護師さんに起こされて

「アレルギーどめ効いたよ。」といわれて、先生もすでにいらして

「普通にあることだし、想定内のことで、これはもう大丈夫。きっちり見ていきながら引き続き、リツキサンをいれていきますので大丈夫だよ。」ということで、にっこりわらってくださって治療続行。

 

お昼の12時前にはなにごともなかったかのように、治療はおだやかに行われて、娘が

「ご飯を買いに行ってくるねー。何がいる?」

と聞いてくれました。サンドイッチをいただきました。お昼から、底なし沼に足を取られるような睡魔はどこかにいき、元気になってきました。娘とも話せるようになり、大学院に通っている頃にあった話や、大学の舞台の話など、他愛もない話をしていたら、おやつの3時になりました。点滴を始めて6時間が経過。開発リーダーが病院についたというテキストが。香穂とタッチ交代です。
「渡を迎えにいって、私と渡のご飯を食べ、プールにいってくるね。なんとなく、ママがなにかあるのは気がついてそうだから、ちょっといろいろ渡の話を聞いてガス抜きしてくるね!」

別に渡がそんなに話せるわけではないのだけど、お姉ちゃんには少しづつは、話そうとするので、よろしくねーとお願いして、入れ替わりにリーダーが入ってきた。会社であったことや連絡など大事なことを報告してくれて、あとはリーダーも病室で机を椅子を提供されたので黙々とコードを書き始めて、私はiPadで漫才を見る。

お手洗いなどへは看護師さんにいえば点滴の電源をぬいてくれて、点滴を釣った棒を一緒にもって歩いてお手洗いにも行けます。なので、あまり困ったことはありません。テレビドラマのように、すっごいシリアスな顔色の悪い病人が、死にそうな顔をして抗がん剤をうって吐く….みないな人もおらず。みんな付き添いの人と楽しく何か話したり、看護師とはなしたりしています。一人でやってくる人も多く、PCやスマホさわって数時間で帰ったりとか、どんどん人が入れ替わり立ち替わりやってきて、点滴しながら看護師と歓談して帰っていくという感じです。この部屋で治療を受ける人たちはたぶん、みなさんガン。若いかわいい女の子も彼氏ときていました。すごく楽しそうに二人で話しておりました。こんなにたくさんのがん患者がいるんだーと思いました。みなさん、どなたも元気。老人の方でカーテン閉めて、ずっと寝ていた方もいましたが、基本この部屋は、どこかで見た風景の部屋です。そうです!街の元気な喫茶店のようでした。お茶やコーヒーなどは、その場で無料でのめますし、私は持参の水とお茶をのんでいましたし、お菓子も食べてました。違いは、ベットに寝ているもしくは座ってる(ベットにも椅子にもできますので)人の腕から管がついていて、その管の先に透明な袋がついている。それだけです。

けど、眠い。点滴後に仕事できますよといわれていましたが、いや、無理です。まだ眠さが残っていて、いつものような頭のキレはありません。

来週から3週間にわたって1週間1回この部屋にやってきて、治療は終了。あとは2ヶ月ごと8ヶ月ちかくかけて、今度は予防のための免疫治療を行います。トータル1年の治療ですね。

道は長いけど、ずっと入院するわけでもないので、慣れれば、すぐに快適になりそうです。

 

<この頃にあったらよかった支援>

インフィュージョンセンター(免疫治療)の初日は、やはり誰かと一緒に行った方が吉と思いました。病院によって違うと思いますが、大抵のアメリカの病院は、つきそいは一人まではできるはずです。何人できるか聞いて、私のように初日にアレルギーが出る可能性がある人は特に付き添いをおすすめします。頭や背中の見えないところに出始めると、看護師に伝えるのが遅くなります。アレルギーはとにかく1分でも早く看護師に知らせて手当してもらうのがいいので、「我慢する」なんていうのはもってのほかですし、すぐぞばに看護師がいても、私のように眠くなってしまっては、なかなか話すのも難しいです。

あと、病院の送り迎えと、お昼のご飯を買いに行ってくれる人。日本だと、病院で出そうですね。さて、また来週から3週間にわたって、治療のための免疫治療がおこなわれます。

9. 私が血液のがん悪性リンパ腫の末期だった話。始まる保険会社との戦いと周囲の人たちへの説明

きのうサポート団体について書きました。

www.yumikubo.com

 

ここに書き忘れたのですが、Oncology(腫瘍科)の看護師さんもサポートグループはたくさん知っています。なので、「送り迎えがうまくいかないので、だれかサポートグループをしらない?」とか、「不安なんだけど、がんの人たちのサポートグループ知らない?」とか、「洋服の肌ざわりのいいものを紹介してくれるようなグループはないか?」等々なんでも聞いてみてください。彼女たちはこの世界の知識の宝庫みたいな人たちですので、いろいろ教えてくれると思います。ぜひぜひどんな小さなことでもこのOncology(腫瘍科)の看護師さんに聞いてください。私は、治療する時の服装まで聞きました。

 

さてさて。

告知があってから先生からは、「免疫治療を行う。4回の治療のためと、4回の予防のため」という話がありましたが、この免疫治療を保険でカバーするということが認可されないと治療はおこなわれないとのこと。なので、ひたすら保険会社がこの治療をカバーするということを認めるまで待ちます。私の場合、この保険会社との交渉を担当看護師さんが担ってくださって、必死で交渉してくださいました。この交渉が終わらないと治療は始まりません。待ち時間になりました。

 

ではこの免疫治療というのはなにか?という話から。

私は、お仕事でご迷惑をおかけするであろう方や、渡の面倒を見てくださる方等々に

「実は、私は悪性リンパ腫という血液のがんで。普通は10万人に数人にしかかからないので、あまり知られてないがんなんですが」というお話をしました。この頃、私から話をと聞くとみなさん驚かれて、泣かれる方もいて

「大丈夫だよ。私、死なないから」と慰めるのが大変でした。うーーん。ガンなのは、私なのだけど。(笑)珍しい病気なので、わかりにくいので、わかってもらおうと思って焦ってしまって、最初に数値などを持ち出すのは良くないということに気がつきました。驚かれるのも想定外だったので、まずはどうしたら、私が治るかの説明をできるかと考えました。免疫療法(英語ではimmunotherapy)という言葉もなんだか、あまり聞いたことのないような言葉で、効き目も少なさそうな言葉に聞こえるのではないか?なんとなくおまじないのようで、本格的な治療を拒否してるように聞こえるのかな?と思い始めました。抗がん剤というのは、いままで多く使われてきていますので、理解もできますし効き目がありそうです。まずはこの治療方法を誰でも理解できる言葉にするのがいいのでは?と思い、考えてこういうストーリーを話すことにしていました。

 

私の免疫療法という治療法の説明

まずはみんなが学んだ小学校のクラスをイメージしてください。

クラスには、必ず一人は行動がよろしくない子がいるものです。その子の名前を

仮に脳天気君にします。能天気くんは、どこのクラスにも必ずいるわんぱくで、いたずらっ子。けど、いつもはしっかり者のかわいい「ケアリングちゃん」という女の子のいうことならよく聞いて、普段はクラスではケアリングちゃんの指示のもと、いい子におとなしくしています。これでクラスは静かで楽しく平和を保っていました。

 

ところがケアリングちゃんがある日病気になってしまって元気がなくなり、クラスでは、なにもできなくなってしまいました。ケアリングちゃんがしんどくなって、なんだか病気で話すこともできなくて、うごけなくなってしまったのです。ケアリングちゃんはクラスの中で、能天気くんの悪い行動を怒ったりなだめたりをすることができなくなりました。だれにも注意されなくなった能天気くんは、クラスで暴れたい放題。クラス全体が疲弊して、うまくまわらなくなりました。

この疲弊してしまったクラスが、今の私の体です。

能天気くんというのは私の血液のがん細胞のこと。がん細胞というのはどの人も持っています。どのクラスにもわんぱくな子供が存在するように。ケアリングちゃんというのが、免疫細胞です。この細胞があるので、普段はがんを発症しないでいます。免疫細胞がケアリングちゃんのようにがん細胞の能天気くんをなだめてくれていたのですが、今は力がなくなってしまったので、能天気くんというがん細胞が私の体に増え暴れています。なので、今から受ける治療は「ケアリングちゃん」を体内に大量に作りだし、能天気くんの動きを元のクラスの時のように抑えること。元の体(元のクラス)に戻すこと。それが免疫治療です。

 

抗がん剤治療というのは、この能天気くんを殺してしまうこと。そのまわりにある疑わしい生徒も一緒に殺してしまうのが抗がん剤治療です。

局部にできたがんの場合は、この抗がん剤治療のほうが有効な場合が多いと思います。

以上が考えた周りへの説明です。

 

この説明で多くの方がわかってくださいました。当たらずとも遠からず…..のたとえなのかなとおもいつつ。これで多くの人が理解してくれて、がんというものは恐ろしい見たこともない治らないようなお化けのようなものではなくて、身近にあるもので、早期発見、早期治療で治る可能性が高まるということを理解していただけたのでは?と思います。驚く人もいなくなって「なにかお手伝いできることがあったら、いってね。ご飯は大丈夫?送り迎えは?」等々すごく嬉しいお手伝いの言葉をかけていただきました。本当にありがたい限りです。病院の送り迎えの手配ができないようなことになったら、お願いしますと、助けて欲しいことなどを明確にして、おねがいしました。

 

さらに、保険会社からも「今はまだ免疫治療の保険カバーを認めない」忠告のメールが。

「今、あなたが免疫治療を開始しても今は保険がカバーしないからね。全て自腹で払ってね。」というのまで送られてきました。アメリカっぽいわー。これから精査するらしいということです。

看護婦さんが、保険会社と戦いまくってくれているようで私には、絶対にこの治療が必要だと説明してくださっている模様でした。

どうも治療はすぐには始まらないということがわかって、お医者さんからは、走ってもなにしてもいいといわれたので、とりあえず5kmマラソンに出場。

タイムはイマイチだったけど、走ると気持ちよかったし、走ってる間は暇なので、いろいろ考えることができて、頭もすっきりできました。

 

この頃はあまり自覚症状もなかったので走れたけど、今考えたら、やはり全身だるかった感じがあります。治療になると抗がん剤のように吐き気もないし、なんでもできるといわれたけど、やはりちょっとは心配しました。

<この頃にあったら、嬉しかった支援>

治療が始まるまで、どんどんガンが進んでしまうんじゃないか?大丈夫なのか?という不安がありました。けど、どうしようもないので、お友達と一緒にご飯を食べに行ったり、ガン以外の話をするのがすごく気分が紛れました。仕事のほうは、開発リーダーが抑え気味にしてくれていたので、出張などもなく、穏やかでした。

さらには、治療が始まったら、食べれないかもしれない。といって、大好きなステーキも山のように食べました。治療が始まってもたぶん食べれるよという専門家の声には「食べれたら食べれたで、その時も食べる」と言いながら、食べていました。

お酒も飲み納めと思い、お友達とどんどん飲んで、会いたい人には、次から次へとアポイントメントをとって会っていました。この時期は、会ってくれたり他愛もないことを話せるお友達がいてくれたこと、お友達が時間を取って相手してくれたことがなによりも嬉しかったです。