手術の説明会に行ってきました。まずは、手術をする病院にいくと、患者登録がされ、それから、検査が行われます。患者登録は、驚くほどの書類を書かされました。終わると、場所を移動し、検査する場所へ。検査の場所でもまた紙を書かされます。
その2ヶ所で聞かれた共通の質問では
「遺言はあるか?」
でした。私は財産等はないので、遺言はいらないなーと思っていたのですが、やはりこう何度も聞かれると、
「子供の事だけでも、遺言を作っておくべきだったな。」と反省。私の中で一番の財産は子供達だったんだということも理解しました。
心電図、血圧等々の検査の中で、やはり嫌な目に遭うのは、採血。私は血管が細く、ほとんどの場合、看護婦さんが失敗します。針をさすものの、血が出ない。なので、両腕に傷ができます。今回も左腕から採血しようとしましたが、左腕からは採血できず、右腕に。左腕にいれた針をかき回すようにしようとしたので、思わず
「痛いです」
と言いました。慣れている私は、これをされると1週間は、紫の痣が消えなくて、痛いことを何度も体験済み。
「右手にしませんか?」
とお願いしました。右手にかえると無事採血終了。ほっ。
あとは説明。専門用語が飛ぶ上に、私が検査しているところは、外部からどんどん患者がやってくるエリアだったので、看護婦さんがみんなテキパキしていて、話し言葉が弾丸のように早い。英語の音も少し違う気がします。こうなると英語が第二言語の私は、聞き取りにくく。すぐに横にいる娘が通訳体制になってくれて、すらすらと通訳してくれました。私がお礼をいうと、娘がいうのには
「彼女自身も英語が第二言語じゃないかな?少し聞き取りにくい。」
と言われました。
アメリカの看護婦さんは、移民が多く英語が第二言語の人が多いです。理由は、看護の勉強を外国からきて行う時に母国から援助を受けれる国々が多いこと、移民の女性が出来る仕事で高い給料の仕事トップ10に入るのは、看護婦だというのもあると思います。
最後にお金の説明がありました。今のところ保険がカバーしても私の保険はカバー額が低いので、支払額は、30万円弱。高い手術になりそうです。アメリカの場合各自の加入している保険によって、カバー額が変わります。
病院滞在時間はほぼ24時間。1泊しか入院ができないので、あとは自宅でただひたすら回復の為に寝ます。問診票にも
「自宅で安全にゆっくり眠れるか?」
「配偶者や同居人にDVを行うような危険は人はいるか?あなたの安全は確保されているか?」
というのもありました。
説明会では、
「手術時に私物は一切持って入らないこと。手術が終わって回復室で意識がもどってから、付き添いの方に私物は運んでもらってください。」
ということです。日本のように入院準備がなさそうです。
説明会が終わったら、今度は執刀医のオフィスへ。
そこでは、検診が行われ、無事に手術できる体かどうか?を再度調べていただきました。全て順調。
執刀医の先生は香穂にも軽く手術の説明をしてくださったので、香穂も一安心。執刀医の先生は、頭の回転の早いテキパキした先生なので、とても安心したようです。
この2つの場所による検査を受けた感想は
「手術受けるためには元気じゃないと大変だな。」
でした。自力で運転して2ヶ所に行き、どちらもそれなりに待たされたので、体力勝負になっています。香穂も
「疲れたなー」
と、ぼそっと言っておりました。
日本の大学病院のシステムは結構よくできていますね。アメリカのスタンフォードの場合は、わりと一ケ所でおわりますが、今度は広すぎて、大変です。
帰宅して、香穂が渡に
「ママの先生に会って来たよ。」
と言うと、
もう真剣な表情。私が手術することは、理解していますが、この情報をどのように処理すべきか、わからないようです。かほがそれに気がついて、いろいろ説明すると聞いてて楽しい話じゃないし、前回の私の大出血の唯一の目撃者である彼は完全にフラッシュバックが起こり、
"No!!"
と言いだしました。これはいけない。当日に説明することを考えています。
こんな慌ただしい日ですが、今日は渡の誕生日です。前にパーティはしたものの、自閉症ですので、本当の自分のお誕生日にもプレゼんトがほしい。なので、隠しておいたプレゼントを出して来て、パーティです。
16歳のお誕生日おめでとう。
随分落ち着いていろいろお手伝いしてくれるようになった渡をしみじみと眺めてしまいましたが、プレゼントは相変わらずト機関車トーマス関係でした・・。
多忙な一日が終わりました。
明日も渡の歯医者、私のヘアーカット、香穂の眼科etc...手術前にすべきことをガンガンと行う日になります。