講演会をきのう終えたので、フィードバックのメールをたくさん頂きました。私の講演会は、終ってから多くの方がメールをくださるので、うれしい限りです。
講演直後も、質問等に来てくださる方が多く、お話する機会も多いの、講演会をやってよかったなーと思うことの一つです。
こういうメールやお話で思うのですが、この時に
「実は、私は娘が一人いたのですが、病気でなくなって・・。」とか、
「孫が小さいときに亡くなって」
そういう方が結構おられます。
こういう話は、私は胸を締め付けられる思いをしますが、やさしく話されるお母さんやおばあさまのお話に、
「産まれた子供はたしかに命の時間は、短かかったのかもしれないけれど、その子にとって、最高の家に産まれたんだなぁ。」
と思わずには、いられません。
こういうお話を伺うと、日々ぞんざいに子供に接している自分のことを猛省します。
香穂が
「ゆみちゃんさー。今日学校でN君がさー」
なんて話しかけてきても
「もうそれはいいから、早く夜ご飯つくるの手伝ってくれない?」
と、子供を遮ったりしている自分がいます。
渡にしても
「何回言ったら、わかるんだろうねぇ・・。これは、 違うっていったじゃない!渡、静かにしてくれる?」
みたいな、愚痴とも思うような対話をする私がいます。
この<今できている会話>も本当は奇跡だと思うくらいのことなのでしょう。
明日我が家の子供が病気や、事故で死ぬことがないということは、なんの確証もありません。
悲しいことは、想像しないようにすることが人間の本能としてあります。
けど、そういう想像も時には必要なのではないか?と思います。
”いま、突然我が子がいなくなったら・・。”
考えてみると、できるだけ子供の声に耳を傾けて、聞いて行こうという気持ちが湧きます。
子供が毎日健康だと、こういうありがたいことが、普通になって気にもとめなくなってしまう。
先に亡くなった子どもたちに私ができることは、日々、大事に生きてゆくことです。
私たちは、明日の夕方から、ラスベガスに向います。3人で仲良く楽しく旅行してこようと思います。