自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

きのうの節分

学校見学の話が続いたので、節分の話。きのうは、節分でした。

私は、大阪出身ですので、巻き寿司をまき、恵方に向かって、無言で丸かぶりします。この巻き寿司のまるかぶり、私は少なくても、幼稚園の頃から、やっていた気がします。うちの祖母が、住んでいる大阪の場所は、下町とでもいいましょうか?わりとご近所の人と仲がいい場所です。

節分の日は、祖母の家から、観音様のお参り道に何キロも屋台がでて、小さい頃の1番の楽しみでした。

私は、祖母の家にわりとよく預けられていました。

やんちゃ娘で、よく人に話しかける私は、だれとでも仲良くなってしまう・・。

出先で、用事を早くすませたい母としては、私を連れて歩くと、さまざまな人に私が話しかけるので、対応が、面倒だったのでしょう。

祖母の家は、遊びにゆくと、近所の人が、勝手にガラガラと扉をあけて、挨拶しながら入ってくるようなところです。中で遊んでいると、次から次へと人がやってきます。私も人がくると出て行って、挨拶をします

「あっ、ゆみちゃん。来てるんかいな。あとでオバちゃんの所にも、寄りや」

という感じです。けど、私は、祖母の家に、住んでいるわけでなくて、母が用事の時だけ、遊びにいくそのあたりは、今あいさつしている人が、どこの家のオバちゃんだか、よくわからない。で、祖母の家で、遊んで飽きてくると、外遊びです。

そして、祖母の家に来訪するオバちゃんたちに、家の場所を聞き出していた私は、覚えているオバちゃんの家へ、一軒、一軒と遊びに訪れます。まだ幼稚園に入る前くらいです。

どのお宅もお忙しいし、遊びに来られても邪魔なはずなのですが、どのお宅も喜んで迎え入れてくれます。祖母も忙しいので、無駄にパワーのある幼稚園入園前の子供の世話を、みんなで負担してゆく意味合いもあったのでしょう。こうやって、私は、祖母の家の近くでもだんだん市民権を得てゆくわけですが、オバちゃんたちが帰るときになると、決って、

「ゆみちゃん、これもって帰りや」

といわれます。そこには、半紙や紙で包まれた中にお菓子が入っています。

必ず、

「気持ち入れといたさかい」

といわれます。祖母に怒られるとおもい、断わると、逆にこちらが、

「気ぃ悪いコやな」

と言って、怒られるので、元気にお礼をおって、持ち帰ります。祖母はこのおやつの包みをみて、どこに私が立ち寄ったか?というのを理解するわけです。次回あったときに

「孫がお世話になって」

とお礼を言うのでしょう。

私、{この気持ちいれておいた}という言葉が好きです。ご飯のおかわりをつぐときでも

「気持ち多めにしといたで。」

で、なんとなくうれしくなるし。たがが10gくらいのことでしょう。けど、やはりちょっと暖かい気持ちになれる。

「気持ちいれとくわ」

とお店の人にいわれれば、粗品にはならないような、小さなオマケがついていたりします。

「くだらないものだけど」

と控えめに、へりくだっていわれるより、

「気持ち入れとくわ」

のほうが、なんとなく、こちらも暖かい気持ちになれる。たとえ、いただくものが、そんなにこちらが必要としていないものでも、

「気持ち・・」

と言わると、うれしい。実は昭和という時代は、こうやって、コミュニティがあったのでしょう。あっ・・・齢がバレる。