自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

札幌から函館へ

札幌でお腹いっぱいになった私たち。特急「ホクト」に乗り込み、函館を目指します。

一緒に函館まで、ご同行いただくのは、我が家の娘と、この子

室蘭本線を走るので、景色を期待していましたが、やはりすごい景色でした。海沿いなので、綺麗、綺麗。

まるで海の上を走っているかの如く、綺麗な景色でした。

途中「森」という名前の駅もあるのですが、

そこを通過する時も海だらけ。面白い。

車窓見ていると、あっという間に函館に到着。

まずは荷物をホテルに置かせてもらうことにしました。鉄好きの私が選んだホテル。そのホテルのロビーはこんな感じ。

あとは娘が行きたがっていたところを一気に回ります。私はお酒が出ないところでは、ずっと娘の行きたいところについて行く感じなので、娘に色々教えてもらいながら回る函館観光です。

まずは赤煉瓦街

娘はここのオルゴール館が見たかったので、そこに立ち寄り、長く時間を費やしました。

赤れんが街のスターバックス

スタバでちょっと涼む予定だったのですが、あまりにすごい人でおそれをなし、近くにあった比較的空いていたコメダ珈琲へ。あまりに暑いので、娘はかき氷を頼んだら出てきたのが、これ。

どん!

ラーメン鉢に入っているようにしか見えない宇治抹茶ソフト。

もう女子旅は、こういうのを見ると笑いが止まらなくなるので、ずっと

「ラーメン鉢だ。これすごい」でケラケラと笑いすぎて、話が進まない。お腹痛い。

お目当ての旧相馬邸

丁稚奉公で、新潟から函館に奉公に来た相馬哲平氏。28歳の時に、新潟から函館に奉公に来た相馬哲平氏。働きまくり3年で米穀雑貨店を開業。箱館戦争時に米の騰貴を見越し、命懸けの大勝負で巨額の利益を生み出しました。その後は金融業に転身し、ニシン漁への投資などを行い、一代にして全国の「金満家番附」に載るほどの豪商に。洋風和風を見事に混在させたすばらしい邸宅でした。

旧相馬邸

邸内写真が撮れないので、外側だけ。むすめはここの係の人がアメリカに何度も行ったことがあり、大好きだということで、話がはずみまくり。娘がアメリカ生まれ育ちなのに日本語を話せるというので、褒めていただき、喜んでおりました。色々ここでも知りたいことを知れたので、日本語できてよかったーと言っておりました。

次は、北方民族資料館

アメリカでは、日本語補習校に通っておりましたが、週に1回しか行かないので、日本史は、相当急ぎ足で教わっているので、アイヌ民族の話は全く学んでいないので、ここで、色々見て回る。私はアイヌの方達の器用さにひたすら驚く。ちょうど自分で初めての手作りワンピース(ハワイのムーム)を作ってから出てきたので、縫い物があまりにたいへんすぎて、思わず今から洋裁学校に通いたいと思ったほど。

なので、驚くような刺繍の施された民族衣装にひたすら度肝を抜かれました。

次は、箱館区公会堂

この時代にこの建物はすごいと二人で感動。

ペリー広場を通って慌てて、

坂本龍馬記念館へ。ここはすべて撮影禁止だったので、何も撮影できなかったけど、幕末の混乱期がよくわかる展示がされていて、ここ、まとめて鑑定したら、幕末で謎の部分が相当解けるのでは?と思った私。

 

まー昼を回って遅くについてよくこれだけ観光したわ、お腹減ったわー。というので、早速娘も大好き居酒屋へ。

娘はお酒は一滴も飲めないのだけど、今回の旅行で居酒屋が大好きになった。

色々な土地のものがすこしづつたくさんの種類食べれて、のんびりと私と娘で話せるし、今回の旅行で商船三井の苫小牧フェリーの船の次に気に入ったのは、居酒屋だそうです。特に地方に行くと、一つのオーダーが東京の3倍くらいは盛り付けられている!

今回お邪魔したのは、

tabelog.com

 

夜ご飯なんてどこでも食べれると侮っていたら、なんと月曜日はお休みが多いらしく、電話しても電話してk、予約が取れない。直接言ってもダメで、やっとこのすずやさんだけが、2席空いてました。さらに、名物のイカが不漁だったみたいで、函館でお目にかかれなかったので、ホッケなど頼みまくったけど、あまりに美味しすぎて、写真を取るのを忘れた。

娘はイカの踊り食いは、絶対に食べたくないくらい嫌で、人が食べているところを見るのも怖い、と言っていたので、イカにお目にかかれなかったことは、娘にとっては、幸せだったかも。

そうそう、昔は函館は渡も来たことがあり。函館の朝一でイカ釣りをしたのでした。

その時の話は下に。渡はイカは、我が家のペットの猫のように、連れて帰れると信じて必死で釣っていたという。

www.yumikubo.com

 

さて、明日は岩手経由の仙台行きです。