自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

自閉症の渡のお姉ちゃんの香穂が、アメリカ芸術系大学院を無事に卒業いたしました。

香穂が、アカデミー・オブ・アート・ユニバーシティ大学院のアニメーション学部を無事に卒業いたしました。

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長い道のりでございました。

この学校に通うことになったきっかけは、高校の時にできました。日本語補習校の帰りに行なっていた「ワクワク土曜日」という、日本人がどのようにアメリカで活躍しているか?のお話しをご本人に来ていただいて、話していただく会をやっておりました。その中で、一度、アカデミー・オブ・アート・ユニバーシティで教鞭を取っておられた俣野努先生に来ていただいて、お話していただきました。Tom Matano と聞いて、えっ?と思われた方は、相当、車好き。そうです。初代ユーノスロードスターのデザインをされた方です。俣野さんのことはこちら。英語ですが。こちら→Tom Matano

香穂は高校の時に俣野さんの話に感動して、この大学部のほうを見学して、相当行きたがっていましたが、USCやUCLA,Pepperdineなどにも受かっており、いろいろ自分で考えた挙句、

とりあえずは、普通の総合大学にいき、大学をでてから、それでもまだ芸術だなと思ったら、芸術面の技術を専門的に教えてもらえる大学院に行こう!と考えた模様です。

大学の卒業がほぼ決まって大学院巡りをしましたが、高校の時にみたアカデミー・オブ・アート・ユニバーシティがむちゃくちゃ進化していて、おどろいて、やっぱ私はここで技術を学びたいとなり、進学が決定して俣野先生にも挨拶に伺いました。

奇しくも香穂の卒業式の日の午後からこの俣野先生の名誉博士号の授与式でした。すごい!午後の授与式には私たちは用事があって、参加できませんでしたが、我がことのように嬉しい限りです。俣野先生との出会いがなければ、娘はここまで意思硬く、前進できていたかどうか?です。リアルで人に会って、お話を伺うってものすごく大事。人生を変えるくらい大事です。

で、卒業式ですが、Reverend Monsignor Harry G. Schlitt 祭司のお話が感動。

彼はベルリンの壁が壊される時、CIAの知り合いに連れられて、夜にベルリンの壁の近くまで行ったそうだ。その時に友達と匍匐前進し、壁の近くで、友達がパチン、パチンという音を立てて、鉄条網の一部を切り取ったそう。今日はその切り取った鉄条網を見せながら、当時のその時の友達の言葉を話してくださいました。内容は、下記。

君(祭司)はアメリカで生きている。もしアメリカが今後、おかしな方向に向かうことがあれば、この鉄条網を思い出して欲しい。国と国は、壁を立てるのではなく、架け橋を作るべきだ。僕たちのすべきことは国々へ架け橋をかけ、世界がひとつになり、力を合わせて夢に向かって前進するということだ。と言われた。君たち卒業生は、この学校でアートを学んだ。これから世界に旅立って行くわけだけど、自分一人だけで夢を叶えようとするのではなく、みんなで力を合わせて夢をかなえれば、より夢が現実化される。アートには、国境がない。なので、学校を卒業したら君たちは、どんどん架け橋をかけ、共同で夢を現実化してほしい。

という話。私は、もううるうる...。どうしても渡にかぶさってしまう。

私のできることは、渡のような自閉症の人たちと健常といわれる普通の人たちとのパイプ役で、決して壁を立てる役ではないとずっと思っておりました。自閉症の人たちを少しでも知ってもらって、理解してもらえること共存できる方法があることを伝えること、考えることが自閉症と一緒に生活している私ができることかと。

国と国だって一緒ですよね。お互いの国が、いがみあったり壁をたてるのではなく、力を合わせた方がより強く優しくなれると思う。

と、感動。


さて卒業生の親として、個人的には、香穂の入場、退場をみていただけでも、涙、涙...。涙腺崩壊。

香穂は、家にいる間、保育園から小学生までの生活時から普通の子供とは違っていました。普通の子供は放課後の約束を普通にお教室でして、「XXちゃんの家に遊びに行ってくるー」といって遊べるわけですが、香穂の場合は、学校が終われば、すぐに渡と一緒にセラピー(療育)や病院に向かいます。言語療法であったり、作業療法であったり喘息の先生であったり、時には渡が入院して朝は病院から通ったり、本当にいろいろでした。

帰宅が夜中の10時前になることもありました。

学校から帰宅したら学校に持って行ったカバンを持ち、宿題は渡の待ち時間にこなします。

家にいたとしても、普通の子供のように机に向かって勉強できるわけではなく、24時間脱走癖がある渡をリビングでおもりをしながら、脱走しないか?を気をつけてみながら、宿題をします。せっかくできた宿題も渡に破られたり、無くされたり、落書きされたりして、コンピューター提出になってからは、提出前に全部消されたりして、めちゃくちゃになるのは日常のこと。理解のない香穂の担任の先生には、怒られるわけです。「しっかりあなたが見ていて、宿題を終えて、きちんと片付ければ、兄弟から宿題にイタヅラをされることはない。」と言われるわけですね。

そんな中でも彼女は先生に怒ることもなく、「わからない人にはわからないよ。」と言いながら、グレることもなく、懸命に生きておりました。

小学校高学年、中学になると宿題は休み時間に全て終わらせてしまうということも覚えて、宿題は学内で終らせてくるようになりました。

高校になると、渡のセラピーの空き時間などには、よく高校のイベントに一緒につれていってくれて、「ひとりでみるより、みんなで見た方がめんどくさくない。」とかいいながら、同級生の子達にも渡を紹介しておりました。

香穂が大学に進学して寮に入り、最後まで香穂が座らなかった、いえ、一度も座ることができなかった家に残った香穂の勉強机には今度は渡が座り、くもんや高校数学の勉強を必死で始めました。

香穂に対しては、勉強をまともにできる環境を与えられなかった、落ちこぼれの母親の私です。そんな香穂が学ぶことを諦めず、学びを得て、学位を習得するまでに至ったのは、母親としては、素直にすごいと思います。親バカだけどやっぱり頑張ったなーと思います。

学び続けるって難しい。いい環境を与えられても学びというのはくじけることがあります。けど、よくぞここまでやったなーと。

今回の卒業式に参列した渡は、自閉症独特のゆれるということもなく、2時間、普通の参列者よりもはるかにいい子で卒業式の参列を終えました。

おめでとう、香穂!!さてこれからは、どうぞ、好きなだけ、今度こそ自分のペースで、自分の好きなことをしたいだけ追求してください。できそこないのママから贈れる言葉は、

本当にありがとう。我が家に来てくれて、ありがとう。私の子供でいてくれてありがとう。私はあなたの頑張りを誇りに思います。

というのが、わたしからの卒業のお祝いの言葉です。