自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

過去を振り返るということ

一生懸命に家事をこなしている自閉症の渡を見ていて思ったこと。
人は

「あの頃はキラキラしていたなぁ。あの頃に戻りたい。」

とか、

「若かった頃を思い出して泣ける。」

とかあると思う。
実は、私は、これがほとんどありません。バブルの頃は凄かったーと思っても、あの頃に戻りたいとも思わないし、笑い話の一つ以外のなにものでもない。

これはたぶん、渡のおかげなんだろうなーと。
渡は赤ちゃんの時は、器官の奇形と重度のアレルギーで、いつ死んでもおかしくないこともありました。緊急病棟は慣れたもの。
そんな渡が1歳半の時に発達障害がわかり、2歳で自閉症の診断を受けた時、私が心に決めたことが
「過去を振り返って、あの頃はよかったなー、可愛かったなー、とか思わない。過去のことを振り返る時間は、私が棺桶に入る前にたくさんあるだろう。とにかく1日に1回、渡に笑ってもらう。未来は、毎日の積み重ねの先にしかないので、随分先のことを不安に思うこともしない。毎日を精一杯生きる。精一杯を積み重ねる。
突然、未来が自分の前にどかんと落ちてくることもないし、過去に戻れることもない。渡が20歳になった時に、辛い社会の風が当たって来ても、20歳までの人生で楽しいことを体験していれば、渡へは、『今はちょっとつらいかもしれない。けど、今までの人生は楽しかったでしょう?それを思い出して少しづつ頑張ろう』と言えるだろう。そんな人生を送ろう」ということでした。


とにかく、毎日を楽しく生きる。1日に1回は必ず笑う!と決めていました。確かに笑わなかった日はほとんどなかったと思う。
なぜこんなことを思ったのか?と思うと、我が家の渡も香穂も我が家に属する生命体として生まれてきたわけで、彼らは日々一生懸命生きているわけで、その命によりそう自分が

「あの頃がよかったなー」

なんて思えない気がしてきたからだと思う。渡はアレルギーが重くなり危篤になっても、何度も必死で生き延びて生還してきたし、そんなに頑張って今を必死で生きている渡が、さらに社会で長く生きのびるということ。それは、たぶん命にかかわるような病気をもっていなかったり、障害がなかった人よりは、苦労があったり不便な思いをするんだろうな....とその頃は思っていました。
そんなにがんばっている命のそばにいる私が.....さらに誰よりも無駄に元気で「トイレの100ワット」とまでいわれた不必要に明るい私が、

「あの頃がよかったなー」

なんていってる時間は、なんだかすごく悲しく感じがしたのかもしれません。いやだなと直感的に思ったのだと思う。

 

今日、お弁当箱を必死で洗っている息子の手元を見ていて、それがぎこちなくて、けど、なんの文句もいわずに、うまくとれない油と格闘している。お皿を洗うという、たががそれだけの作業を覚えて実行に移すだけで何年もかかった渡。
私のように「あー、面倒」「いやだわー」などと、ため息をつくこともなく、帰ってきて、どかっとソファーに座って休むこともなく、外から帰ってきてすぐに汚れた自分の弁当箱の油と戦っていた。なんだか、それがすごく真剣で、うれしそうに見える。


たぶん、他の人が見たら、どうでもいい風景なんだろうな。子供の普通の皿洗い....。ほんと、どうでもいい風景。日常です。けど、私にとっては、なんだかすごい時間だなと思った。やっぱり、私は今度生まれ変わっても、自閉症の子供が生まれてきても元気に育てるだろうし、全く同じく今の子供達が我が家にやってきても、楽しく育てるのだろう。
生きている....。子供が元気に生きている.....。すごいことだわ。

やっぱり命って、一番キラキラしてるなと彼のシャボンだらけの手元をみてて思った。

その渡は、がんばったかいがあり、だんだんと油の取れた光っているお弁当箱になり。それと同じようなキラキラの笑顔で、振り返って私のほうを見て、たった一言。

「ディズニーランドでお姫様に報告する」

結局、そこかい!なんでも自慢なんだな。と思ってあきれたけど、こんなにちいさな家事でもきちんと目標をもってやってるというのは、いいことだと思い込むようにした。

たがが自閉症の渡が弁当箱を洗った.....という、どうでもいいようなことのお話でした。