自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

子供の時に感じた命

いたずらばかりしていた子供でした。家の裏庭には畑があって、農家で育った父が綺麗にしていて様々な野菜があったり、果物の木がありました。

この庭が結構おもしろくて、学校の勉強よりは、はるかに魅力的でした。いつも食べるものができている裏庭って見てても豊かな気分になっておもしろい。

表の庭には、ライラックの木やツメキリソウがありました。小さい頃に家族で札幌に住んだことがあるので、札幌の人に頂いたのか?私たちが札幌に住んだ事を忘れないようにするために植えてあったのか?は、さだかではないのですが。

このライラックの木は、秋から冬にかけて葉っぱがなくなり、枝がするどくなるので、いつもモズがトカゲを刺して生け贄にします。どうも刺した当人のもずのほうは忘れているようで。私はなぜライラックの木にいつもトカゲがささっているのか?が不思議でしょうがなく、誰かがいたずらをしたのでは?と思い、父に聞くと、一茶の句と一緒に教えてくれました。

人鬼に百舌(もず)の速贄(はやにえ)とられけり

という句で、もずというのは、トカゲをみつけると捕まえて、ライラックの木に刺して食料としてとっておくのだと。トカゲはやられっぱなしなのか?なんにも抵抗はしないのか?と聞くと、

「トカゲのしっぽは護身の為に、切れてもしっぽだけが動くようになっているんだ。しっぽは切れてもまた生えてくるんだよ。切られたしっぽはしばらくの間、動き続けるので、その間にトカゲは逃げるのだ。」

こういうことを聞くと、しっぽを切ってみたくなるのが子供というもの。我が家にはツメキリソウがあったので、トカゲはそこに卵を産むので幸いにも(トカゲにしては不幸にも)トカゲがたくさんいた。

みつけて試しに切ってみようと思っても足で踏んでしっぽを捕まえられても、しっぽはなかなかうまく切れない。こうなるとムキになり必死で運動靴のエッジでしっぽだけを切るようにがんばります。普通の運動靴だとエッジが柔らかすぎて、足でうまく捕まえても肝心のしっぽが切れない。

そんな時。友達の一人がコンバースバスケットシューズを学校に履いてきた。見たとたん、このエッジだとしっぽはうまく切れる!と思い、非常に欲しくなったので、母に頼んでみた。まさか

「トカゲのしっぽがうまく切れないので、コンバースバスケットシューズが欲しい。」

とは言えないので、

「バスケットをしたい。小学校の高学年になったら部に入る事も考えてるし、練習もする。」

と思ってもいないことを言ってなんとか購入にこぎつけました。

けど、一向にバスケットボール自体は欲しがらないので、不思議に思った事でしょう。

このバスケットシューズのエッジでトカゲのしっぽを踏むとまぁ、切れる、切れる。おもしろいほど簡単に切れました。切れると本当にトカゲのしっぽだけが動きます。こうなると

「すべてのトカゲは、しっぽが切れたらしっぽだけが動くのか?」と、

不思議になって何度もやったけど、やっぱりどのトカゲもしっぽが切れるとしっぽだけが動きます。

「すごーっ!」

と感動する私。どんな勉強よりも感動したかも。

それからというもの、トカゲのしっぽをどんどん切りまくりました。母には靴はバスケの練習だと思われているし、まさかトカゲのしっぽ切りのことはバレてないだろうし。いいおもちゃがみつかったような気分でした。

ところがある日、父がぼそっと母に、

「ゆみには、もずの生け贄の話の時にトカゲのしっぽの話をするんじゃなかった。庭で雑草抜きをしてるとしっぽがないトカゲが一杯出てくる。」

と言われたほど。ちょっと反省したけど、どうせ生えてくるんだし、と切り続けていた。

そんなある秋の日。毎年の風景なのですが、ライラックの木にトカゲがささっていました。なんだか、昨年と風景がちがうなと思ってじっと見るとしっぽがない。もちろん私が切ったから。もしかしたら、このしっぽを私が切らなければ、このトカゲはしっぽだけを百舌に献上して、自分は助かったのかも。と思ったら急に心が痛み、それからトカゲのしっぽ切りをやめてしまい、バスケットボールシューズも物置深くへと行ってしまいました。

しばらくして本を読むようになった私の目に飛び込んできた遠藤周作さんの文章。

「子供の頃、小枝にゴムをつけてパチンコをつくって石を飛ばして遊んでいた。おもしろがって鳥を狙ったら、その石があたって鳥が死んだ。いままで綺麗な鳴き声を奏でていたなんの罪もない鳥が本当に死んでしまった。その死骸を手にとってなんてことをしてしまったのだろう。という後悔が自分の中に生まれた。あの時になんとも言えない嫌な気持ちは忘れない。あの事が私が命を考えた最初の出来事だ。」

とか書かれているのを読んで、私の感じた「しっぽがなくなったトカゲがライラックの木に刺さっていた時のいやな感じ」と近いんだろうなと思った。


ふと先日、渡と散歩してたらトカゲをみつけたので、いたずらにしっぽを切ってみようと思いたった。彼にもトカゲのしっぽは切れても動くよと教えてあげようかと。しっぽを踏もうとしたら、昔はほぼ100%捕まえていたトカゲのしっぽがまったく踏めない。

トカゲの逃げる速度のほうがはるかに早い。いったいどうやってこのしっぽを足で踏んで捕まえていたのか?と思ったほど。

そうね。私も歳を取った訳だ。なんだか、トカゲに

「ふふっ。もうアンタには、つかまんないよ。アンタよりも僕たちのほうがはるかに生きる知恵があるからね。」

と言い返された気分になったのでした。

こんなトカゲのしっぽきりの体験。今の都会の子供たちはしないんだろうなー。さらにモズの生け贄なんて小学生で何人が見た事あるんだろうか?とふと思った。小さいときこういう所で命があるということを学んていた気がしたので、ちょっと懐かしくなってブログにあげてみました。