自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

娘が家を出て行った

香穂が大学に行くために家を出てゆきました。

といっても大学まで私と渡とで送り届けます。最後の夜は、大学までいく途中にある海辺のホテルで1泊しました。

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私は香穂には、なるべく家から離れて、学生生活を満喫してほしいと思っていました。

というのも私と香穂は、渡を育てるということを2人でやってきました。

そこから離れて自分の時間を満喫してもらいたかったのです。

我が家は、父親が出張や単身赴任でいなかったので、母子家庭そのもので香穂、渡、私とで3人で団結してきた感じです。

2人で自閉症の渡を育ていると、自閉症の症状はまるで竜のように私たちを襲ってくることもありました。

真夜中の渡の雄叫びから、脱走、一睡も出来ずに学校に通ったことや、渡に宿題をぐちゃぐちゃにされて、学校で先生にこっぴどく怒られたこともあります。

決まって金曜日の夜になぜか体調を崩して危篤状態になり、緊急病院に入院した渡にくっついて、朝まで一緒に過ごし明け方様子が安定したので、そのまま土曜日の日本人学校に登校したことも何度かありました。

休むこととさぼることが嫌いな香穂は、週に1回の日本人学校なので、どうしても登校するといってお友達の車で登校しました。

小学校の先生には

「息子が自閉症とアレルギー・喘息等で、体が弱く、彼女は眠れないことがあります」

と、前もって言ってあったのですが、

徹夜で看病した香穂は、学校の授業中に寝てしまい、先生に教科書の角で頭を叩かれたこともあります。

当時は気が弱く、先生になにも言わずにただメソメソと泣いて帰って来て、あとから先生に説明したものの、

「学校は、寝るところじゃない」

と言われてしまったこともありました。

人間、自分が体験した苦労はわかりますが、体験したことがない困難は、なかなか理解が難しいんだな。と言うことも、この時に二人で学びました。

現地の学校でも、小学校の時に渡のことが新聞で取り上げられ、クラスメイトが

「お前の弟はバカだから、お前もバカだ。」

と言われたこともあります。

この時は

「人の事をバカだと言うやつが一番バカだ!弟は人にそういうことは絶対に言わないから、バカじゃない。」

といい返した香穂でした。

中学校の時は、渡に宿題をぐちゃぐちゃにされたり、帰宅したら、セラピーや渡の世話がまっているので、昼休みに図書館で宿題を全て終わらせていて、司書の人に

「香穂、宿題は家でやるからホームワーク。っていうんだよ。」

と言われたこともあるそうです。帰宅して

「宿題は?」

と聞くと、終わっている香穂は

「ない」

と答えていたので、のんきな母の私は

「宿題のない中学に通っている」

と思い込んでいました。

私としては、香穂は本当に姉としてよくやってきたと思います。

辛いことばかりじゃなく、同じ自閉症の兄弟をもつお友達とは、はんぱなく強い友情で結ばれたこともあります。

多くの人たちが私と香穂を助けてくれたことも数えきれないくらいあります。

自閉症の竜と戦いながらの生活の中からよく大学入試を成功させて自分の道を切り開いていると思います。

少し我が家から離れて、自分の為に自分の勉強をしてもらいたかったし、大学という楽しい時代に友達とゆっくり信頼関係を築いて好きな勉強を思いっきりしてもらいたかったので、旅立つ香穂のことは、本当に嬉しく思います。

母親らしいことは、なにもしてあげれない私だったけど、ごめんね。

もっと料理のことや、お友達のこと、人を好きになること、学校のことも、ゆっくりお話ししたかったね。

がんばってはいたのだけど、力及ばずだったね。

たよりない母親だったけど、これからもずっと見守っているので、存分に楽しんで大学生活を送ってください。