自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

大阪北部地震にあいました。

実家でのオフの数日もおわり、さて、お仕事開始です。実家がおわってからのお仕事は、京都です。Voice4u 株式会社(日本)は、京都に設立されることが決定したので、京都です。取締役でもある id:reikon (彼女のブログはこちらです→Tapestry) からホテルも紹介してもらって、京都宿泊です。なんと紹介してくれたホテルが昔家族で泊まったことがあるところで、もう嬉々としてしまう私。まだあるんだ、あのホテル!大喜びでチェックイン。

ところが最初、ホテルがわかりにくかった。ホテル自体に周りに足場が組まれ、ホロをかぶっていたのです。

チェックインの時に

久保様、当ホテルは現在耐震工事中ですので明日の昼間はうるさいかもしれません。

とのことでした。全く気にせず、部屋にはいると、部屋の中は、当時よりも綺麗になっておりましたが、当時のことを思い出し、ゆっくりと 思い出に浸っておりました。日々があまりに忙しく、自分が育ったの家族のことなどをゆっくり思い出したりする時間とかあまりないので、いい時間になって幸せなホテル。いやー、これはすごく贅沢な時間です。

けど、夕飯前の集合時間は、せまってきたので、ホテルロビーに集合です。開発リーダーも愛媛からやってきました。夜の会合にでて、お仕事終了。

朝も同じくホテルのロビーに集合ということだったので、「じゃ、8時すぎにねー!!」とみんなと別れて、部屋へ。

いやー京都の料理は美味しかった、最高だった。と感動しながら、また思い出に浸って寝ておりました。いいわーこういう時間...。贅沢、贅沢...。

さて、6月18日朝。8時すぎにロビー集合だというので、私は部屋でパッキングも終えて、部屋の鍵も握りしめ、さて1階にいくかーと思った途端、突き上げタイプの立て揺れ地震が。サンフランシスコの地震を体験している私は、突き上げ式は被害が大きくなると思っていて、あっ、これは大きい...と思いました。立っていられなくなって、慌てて掴んだのは、足にローラーがついてる椅子。

いや、それダメだろう、私...。揺れる、ゆれる..。あわてて部屋の扉をあけて、逃げ道を確保。余震の様子を見ておりました。大きな余震がこなかったので、あわてて階段を駆け下りてロビーへ。

外国人のお客さんが多く、ごった返しておりましたが、とにかくチェックアウトの手続きを。その時に、ゆっくりとやってきたリーダー。

ゆれましたね。

と、ひとこと言ったかと思うと、フランスからおこしの観光客の方が知的障害を持つ成人の娘さんと裸足で立ってたのに、私とリーダーが同時に気がついた。娘さんはタオルをにぎりしめたまま視線が定まらない感じです。さぞかし恐ろしいのだろうと思ってたら、すぐに開発リーダーが英語で声をかけておりました。あっ、情報がわかると思った外国の方達は、みんな開発リーダーに話しかけるのですが、開発リーダーは、すぐに丁寧にフランスからお越しで障害のあるおこさんを抱えているお母様に地震の説明。親子は初めて地震を体験したそうで、開発リーダーの説明をきいて、相当ほっとしておられました。けど、彼女のどうしても知りたいことは

次の地震はいつくるか?

でした。もうしわけない...。それが今すぐわかれば、開発リーダーは、今、ここにはいないと思う。どこかで地震の研究をしてるかノーベル賞をとっているだろう...。かのじょには、エレベーターなどは使ってはいけないと基本的な説明をしておりました。さて次の取材先の京都駅に行かねばなりません。開発リーダーは揺れは感じだけど、私のような突き上げ式は、ほぼ感じなかったそうだ。同じ京都でも向きや建物の位置などでこんなちがうのねーと話しながら、動いていた地下鉄にのりました。こんな呑気な私たちに地震の続報がどんどんはいってきて、自分たちも動けなくなって困るのは、地下鉄の中でだったのです...。ということで、続きは明日。

 

 

渡が持って来てくれたすごい出会い。 #ちょっといい話

ずいぶん昔の話。渡がまだ家族の名前を言えない、認識できなかった頃の話。せめてお姉ちゃんの名前でも覚えてくれないかあ?と思っていた頃の話。

お姉ちゃんは渡をすごくかわいがっているので、名前も呼んでもらえない、認識してないって悲しいだろうなーと思っていた時期が長くありました。どうしたら覚えるんだろうか?どうしたらお姉ちゃんの名前だけでも言えるのだろうか?書いて練習しても、ただ書けるようになるだけで、香穂とは結びつかないだろう....。

といろいろ考えいていたら

そうだ!渡に朝と夕飯時の御膳のセットをしてもらえばいいんだ!それでお茶碗に名前がはいっていれば、もしかして何年かやっているうちに覚えるかも。

そう思った私は、お茶碗に名前を入れてくれるところを探しておりました。

学生の頃から砥部焼のファンだった私。部活動は自転車部だったので、いろいろなところを自転車で走っていたのですが、四国を走った時に砥部焼を買って来たことがあったのです。あたたかくて、手触りもよく、冷めない。デザインもシンプルで綺麗。渡が触っても割れにくい。持っていてもおしゃれ。早速、砥部に連絡をとって見ました。

連絡をとったところはここ→砥部焼観光センター炎の里(えんのさと)

いろいろ事情を話し、渡のことを説明すると、名入れをして焼くまでに1ヶ月かかりますが、海外まで送ってくださるということでした。それで注文したお茶碗や湯のみはこちら。

この砥部焼が着いてから、朝晩家族の席にお茶碗をならべていると、あっという前に名前を覚え、「かほ、ゆみ」と言えるようになりました。この時の私たちの喜びは表現できないほどのものでした。

いつか炎の里にいって、私たち家族の名前を渡が言えるようになったこと、渡がお茶碗や湯のみをすごく気に入っていること、嬉しそうに家族のためにお毎晩お皿を並べることなどを伝えて、しっかりお礼を言おうと思っておりました。重度の自閉症を持つ家族にとって、本人が家族の名前をおぼえてくれるのは、想像を絶するくらい嬉しいことですから。

けど、本当に愛媛に行けるチャンスがあるのか?と思っておりましたが、人間、生きているとチャンスというのは来るもので、先日愛媛県に仕事で行くことがあり、午後すぎから時間が空いたので、松山市内であわてて手土産を買い、1時間に1本しかこないバス乗り込みました。バスの運転手さんに「炎の里には行きますか?」と聞いたら、行くとのこと。やった!

渡のおちゃんわんなどを注文した頃の人は、もうどなたも働いてないかもしれない。けどとにかくお礼だけは伝えたい。今働いている人たちにも、砥部焼がこんなに私たち家族を幸せにしてくれたのでと伝えたい。

 

と思い。

ゆらゆらゆられてどんどん田園風景になり、30分ほどすると、山の中の小さなバス停に到着しました。バスの運転手さんが

ここで降りるといいと教えてくださって、無事に 

砥部焼観光センター 炎の里 - ホーム | Facebook

に到着。砥部町って、こんなところ。

多くのお客さんがいらしてたので、少しお客さんの波が引いたところで、従業員の方に、ずいぶん昔に自閉症の渡が家族の名前を覚えるために名入れをしてもらいアメリカまで送ってもらった久保です。と説明しました。

従業員の方が「あぁ!!」と覚えてくださっていて、ちょっとこちらへ....と案内してくださって、工場の方に連れて行ってくださいました。なんと絵つけをしてらっしゃる渡邊隆さんがおいででした。渡邊さんは30年ほど絵付けをしてらっしゃって、

覚えてます。海外からの注文は入るのですが、カタカナか英語なので、ひらがなでお名前を書いて、アメリカ送りは珍しいかったので。

とおっしゃってくださいました。その後の渡の話をすると

それはよかったですね。渡くん、すごいですね。

とおっしゃってくださって、いえいえ、砥部の皆様のおかげです。ということを言いながらもう目の前は涙で霞んできた。こんなに遠いところの方達が協力してくださって、渡が家族の名前を一人一人呼べるようになったんだ。これほど暖かい人たちのおかげで、家族の名前を呼ぶ渡の言葉が、声が、織り出されているんだと思うとウルウルとしてしまいました。

記念撮影もさせていただきましたが、ネットにあげていいかどうか?を聞くのを忘れた私。どうぞ皆さま。この暖かくて、素敵な砥部の町にぜひ訪れてくださいませ。

絵付けの体験などもできます。

渡邊さん、みなさん、本当にありがとうございます。

 

 

懐かしい人にあった!

懐かしい人、訪問編です。日本で、はてなの元創業者の近藤令子さんとうちの開発リーダーと一緒に伺った先は、元はてなの id:kiyohero くんが今務めるオフィス。今は、Newspicks におられます。実は、私と開発リーダー id:seihiguchiVoice4uを作るきっかけになったのは、JTPAというNPOの活動がきっかけです。ここで開発リーダーとあったわけです。JTPAでは、当時シリコンバレーツアーというのもやっていて、その時に参加者としてやってきたのは、id:kiyohero くん。いやー私にとっては我が子のような存在です。

きよへろくんがはてなをやめるときに、周りがからかって、

きよへろくんは、はてなダイアリーもまともに書けない顧客の問い合わせが嫌で、やめるんだってさ。

という冗談を言った人がいて、私はこれを真面目に信じてしまい、「あぁ。はてなダイアリーで足をひっぱっているのは、私のことだ!!」真っ青になって、心が痛みました。ダイアリー開設当時、本当にネット周りに弱く、はてなダイアリーのあげかたもわからず、 id:kiyohero くんに色々聞きました。もともとネットの知識はゼロ。例えて言うなら、髪の毛を揚げちゃいました?と聞きたくなるようなパンチパーマで、白い割烹着きてカゴを持ち、商店街で立ち話するような「はぁ?機械ってなんなの?」みたいな感じの昭和のおばちゃんが、突然テスラ運転するとでもいいましょうか?それくらい最初はわかりませんでした。けど、自閉症の子育てだっておもしろいこともあるんだよ。ということを、発信したくってがんばりました。きよへろくんは、嫌な顔ひとつせず(メールで問い合わせたので、顔はみえないけど)答えてくれて、何度かくじけそうになったダイアリーは続き、Hatenaブログへの引越しまでしてしまいました。これ、id:kiyohero くんがいなかったら続いてなかったブログです。本当にありがとうございます。そんな彼もNews Picks ですごい人となって働いておりました。はてなも私のせいでやめたわけじゃないこともはっきりしました(笑) 12年ぶりかな?会えたの。うれしかったわー。

新しく私たちが着手したお仕事の話などもして楽しく終わりました。 

 

Vioice4uからのお知らせ

Voice4uでは、業務拡大のため、日本にVoice4u株式会社を設立いたしました。

活動の場がふえ、Voice4uで培った技術力をさらに磨きをかけて業務を拡大していきます。にほんのVoice4u株式会社では、共同創業者に元はてなの近藤令子さん id:reikon

が加わってくださいました。

話せば長いことながら...実は、令子さんとはシリコンバレーで、一度お会いしたことがあります。その時は、ほとんどお話もできず、私は遠巻きに

「あぁ、id:reikonさんだー。すごー。話してるよ。あっ!すごい!動いてる...」くらい、私の中ではまるでスターをみるような感じでした。当時は、私は開発リーダーと会社を建てたばかりのこともあり、リーダーも憧れていただけあって、

「はてなみたいにうちの会社が大きくなるのかなぁ?みんなから好かれるようになるのかな?すごいなぁ....。」と雲の上の人をみる感じでした。近藤令子さんが日本に戻られてからも、もっとお話したかったなー。仕事のこととか伺いたかったなーと思っていたので、とりあえず会ったこと覚えてらっしゃらないだろうなーと思う程でしたが、facebookで友達申請をしておこうと申請してみました。するとすぐにお友達になってくださいました。しばらくしから彼女は京都大学で働くことになって、開発リーダーには、

「一緒に働きたかったなー。楽しかったと思うんだよなー....。一緒に働いたら。」と話すと、

「しょうがないですね。普通、大学に行かれる方は、長く大学におられる方が多いですし、また次に起業ってやるんでしょうかねぇ...???結構、起業って力必要ですし...お子様もいらっしゃるので、落ち着かれたいのかも。」と言われて、がっくり。けど数年facebookを見ながら

「あぁ、一緒に仕事できたら、おもしろかっただろうな...」と諦められず、後悔先に立たずでございました。ところが今年「京都大学をやめました。」というのを拝見した途端、一気に連絡をとって、たたみ込んでいき(笑)、京都にまで伺ってプロポーズ。受けてくださるいうことで、共同創業者になりました。いやーここ数年で開発リーダーとともに大喜びしながら、毎日わくわくしながら生きております。この年でドキドキできるって不整脈以外ではないと思っていたけど、まじでワクワクでございます。仕事って楽しい!

 

群馬県高崎にて

高崎市の訪問です。三味線の松本梅頌先生の本拠地でございます。

いろいろお仕事もかねてでしが、梅頌先生にご紹介いただいた方々ともお会いできました。

日中は奥様に高崎市を案内してもらいました。お忙しいのに、本当にありがたい限り。高崎は本当に楽しく、ひらけた街になっております。
とりあえず、お気に入りの達磨寺。

達磨の製造販売所

娘へのお土産。映画作成に携わる娘は毎日が七転び八起きなので、

名前も入れていただきました。

帰りの電車の中でもいただきました!

 

 

飛行機遅れる...。

珍しくANAの飛行機が遅れました。4時間遅れ。空港での誘導があまりうまくなかったなーという印象。迷子のお客さんが結構でておりました。当日は群馬県前行く予定を組んでいたので、夕飯を食べる時間がなくなり、結局は移動の電車のなかで、コンビニの冷麺をいただくことに。

それでも一本飲めたので、大満足。けど、疲れたー!!

 

 

自閉症の渡の選挙参加

選挙の日がやってきました。今年は6月5日。選挙日は必ず火曜日というアメリカ。大統領選は11月の第1月曜日のあとの火曜日と決まっています。今回の州直接選挙も火曜日。なぜなら、昔はキリスト教が多かったので、日曜日は投票ができない。月曜日に投票場まで行こうとしても馬車で1日かかるところもあったので、火曜日になり、それがそのまま使われているという話。今回はあまり時間がなかったけど、渡なりに勉強して、しっかりと納得のいく候補者、法案に投票しました。

投票場では、優しいおじさま、おばさまたちに囲まれて、大感動の渡。

「私は選挙しました」ステッカーを胸にいただきました。

この選挙権は、渡が携わった政府の方達が頑張って選挙権を持てるようにしてくださいました。裁判所の息子の担当の方も

渡は選挙できるので、選挙権を持つべきである。 

という嬉しい 判断をしてくださいました。そのことを理解している渡は今後も棄権することはないと思います。よかったね。投票できて。