自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

娘がチームに入れてもらってつくった映画Vivoが全米2位になりました。パート1

娘の香穂がアニメーターになるまでの話を思い出したので、自分が忘れないように、記録しておこうかと思いました。長いので連載にします。

娘の香穂は、ディズニーTVのアニメーター(娘はストーリーボード)になって、2年がたっているかと。そのディズニーで働く前のお話です。

小さい時に「わたし、このディズニーの番組を作る人になりたいなぁ」とよく言っていました。

高校生の時に、絵の世界に行こうかな...と言いだし、父親からは、「絵で食えのか」と言われて、しょげていました。けど、わたしのお友達から

「絵で食ってない人から言われても、それは聞く必要がないよ」

と励まされておりました。

応援しよう!応援するぞ!!と思っている母のわたしは、なんと絵が大の苦手。美術館も行くのはもう苦痛すぎて嫌いなほどです。こんな家からアニメーターなんて出るのか?と心配しておりました。応援したくても、わけわからん....。という感じです。アニメーターの人たちの家は、アメリカでも親に絵心があったり、家にたんまりと画材道具などがあって、好きな時に絵をかけるそうだ。我が家には、筆一本ない....。

 

大学は、総合大学の舞台芸術学部に進みましたが、大学に在学中から大学院は、アニメーションにすると決めていた模様。

大学院は高校時代に見学して、相当行きたかったサンフランシスコの大学院に進みました。夜の授業もあったので、3年間、Door to Doorの片道2時間45分を電車通学していた娘は、帰宅が真夜中を越すこともありました。

 

彼女の大学院の専攻は「ストーリーボード」というアニメのストーリーなどをつくる職種。早くわかりやすく絵を描き、番組のストーリーを作り上げていく仕事です。

このポジション、背景画を専門に書く人たちや、キャラクターデザインのような仕事よりもはるかに人数が必要ない職種ので、募集人数が非常に少ない。「募集ゼロ」なんていう年も平気であります。けど、最後には、監督職につく人が多く、自分で番組を作る人になったりします。わたしは、もっと職につきやすい部門にいったらいいのになぁ。と思いましたが、香穂は「わたしは多くの人に、伝えたいものがある」と言い張っておりました。

 

そんな彼女は卒業の年に、ソニー・ピクチャー・スタジオという会社を受けました。ディズニーじゃないんだーと思っておりましたが、当時この会社は、師弟制度を導入し、新人には、師匠がつく、ということがありました。娘は自分でも

「わたしはあきらかに、下手くそだ」ということを分かっていたし、アニメーションの世界がどういうものなのかというとも、全く知識がないというのも理解していたからだそうです。こんな状態で、競争がすごいディズニーにいっても、なんの使い物にならない。と思ったようです。まずは仕事しながら勉強...。ということですね。

 

ところが受験してから、2ヶ月経っても、ソニーからなんの返事もない。けど、香穂はどこもうけることもなく、ただひたすら家で、弟の面倒を見ながら返事を待ち続けている。わたしはさらに絵の世界のことは、わからないのだけど、アメリカの場合、会社受けて、落ちても日本のように「お祈り申し上げております」みたいな就職試験落ちました連絡、なんていうものはありません。なので、落ちた時は、なんの連絡もない。

そんなのいくら待っても合格通知なんて来ないよ。あぁぁ、これをどうやってわからせるか?だ、と思っていました。そろそろ親としては、言わねばと思い、

「香穂さぁ。ずっと返事待ってるけど、もう何ヶ月も経ってるし、そろそろ他の会社も受けた方がいいんじゃないかな?落ちたっていうことじゃないかなぁぁ....」といったら、

すごくしょんぼりして

「そうかなぁ。だめかなぁ。ずっと人事の人とは、連絡とってて、もう少し待ってね、手続きしてるから...って言われるんだけどなぁ」と俯いておりました。そうだとしても、何ヶ月も待たされるのは、やっぱりおかしい。

「明日からまた就職活動はじめたらいいよ。時間かけてもいいわけだからさ。アメリカは、日本みたいに、新卒とか、4月1日入社みたいなのはなくて、就職したい時に就職活動したら言い訳で。」と深夜に話しておりました。香穂に

「香穂がその師弟制度に入りたいのは、わかるけど、それって、何人くらいが受かるの?」と聞いたら。答えが驚いた!!!

「一人」

いやーそれ無理だろう。ストーリーボードのアニメーターになりたい人なんて、千人くらいは平気でいるよ。学部だけでも学生がうじゃうじゃいたでしょうに。それで、たった一人しかない、そんなお世話もしてもらって(勉強させてもらって)、お給料ももらえるなんていう、おいしすぎる枠にはいるんなんてよく考えたわ。絵のキャリアもなく、絵も下手くそだという彼女には、無理だろ。と思っておりました。

けど、どうしてもその会社の師弟制度に入りたかったので、待っているという娘。母は、もう落ちたと思っているので、親子の会話は噛み合わず、娘は、すっかり意気消沈し、俯きながらベットに潜り込んだ。

そうしたら、香穂が朝6時に香穂が起きてきて、大興奮で、

「大変だ!ソニー・ピクチャー・スタジオから合格通知が来た!朝4時にemailが入ってきた!!」

と、わたしに伝えに来ました。母、娘の執念にも驚きましたが、大喜びで、涙ぐんでしまいました。2人で泣かんばかりに喜んだ日でした。けど、本当に大変さは、この日から始まりました....。続きはパート2で.....。