自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

10.私が悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話。ついに始まる治療

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはでした。グレードは2でした。

先日の告知から、まだやり残した検査がありますので、それをこなします。私にとって一番の鬼門だった骨の一部を取って骨までがんが浸潤していないかという検査もしました。検査結果は見事にアウト。骨までガンが浸潤しておりました。ここで正式に、末期ガン患者確定でございます。けど、この検査、痛いという先入観がありすぎて怖かった気がする。で、娘の大学院のお友達に会うことがあり、彼も骨の一部をとる検査をしたことがあるという話で、「いやーあの骨を取るの嫌だよね」と子供のように娘の友達に散々愚痴る私。けど、今思えば、麻酔がきいてるので、精神的に怖がってしまって痛かっただけの気もします。

他にも様々な検査をうけ、保険会社が免疫治療薬を使っていいというお達しが届き、やっと告知から2ヶ月後の2017713日。免疫治療が始まりました。

 

免疫治療を受ける前に、告知の日や検診の日に先生や看護師にリクエストすれば、免疫治療を受ける部屋(Infusion center)は見学させてもらえます。私はリクエストしなくても

「ねぇ、見る見る?綺麗だよー。先日、リニューアルしたのよぉ。椅子も新しいものが入ったからさ!」といわれて、見せてもらいました。免疫治療も医療の世界ではキモセラピーといわれて、抗がん剤治療の一部にはいります。

Infusion center(抗がん剤をうつ部屋)と呼ばれる部屋の見学説明としては、皆さんが普段着で来ていることも拝見しましたし、食べたいものなども何をもってきてもいいし、何をいつ食べるか?なども制限もありません。好きなお菓子をもってきてもいい、好きなだけ食べてもいいということでした。Macbookを持ってきてお仕事をしてもいいし、本読んでもいいし、音楽きいてもいいし。とにかく、部屋をでなければ、何をしてもいいということでした。天国。

椅子は、リクライニングできて、ベットにもなり、シート自体に暖房が入ります。熱ければ消せて、温度調節ができます。自分にかけるシーツも温められたものが、かぶせられます。点滴するので、体温がさがるからの配慮じゃないかな?と思いました。大部屋のような部屋で、大きくて綺麗なお手洗いもあり、窓の外にはこんなに綺麗な庭が。この庭を眺めながら、免疫治療をするのねーと思っておりました。

ベットは眠い時はカーテンを閉めてしまえば、隣は見えません。

 

免疫治療開始前は、まずはAcyclovirという薬を数日前からのみはじめます。これで感染症などを防ぐようです。日本の倍量のむので、結構だるい。このお薬とはこれから約1年のお付き合いになります。

あと、気をつけないといけないことは、感染症。特に水疱瘡が罹患し時は非常に危険なので、とにかく水疱瘡にはかかるなと。それだけと強く、強くいわれました。

 

さて、免疫治療の前日です。私はこの免疫治療を通院というとなんか暗いなーと思ったので、「遠足」と呼ぶことにし、トレダージョーや日本のスーパーにいって大量のお菓子を買って臨みました。あとは、7時間以上かかる点滴治療に耐えれるように本とiPadを準備。iPad はサポートグループからいただいたものです。ネットもあるので、メールもできるそうです。お昼ご飯は、部屋からでれないので、娘が病院のカフェで買ってきてるれることが決定。彼女もつきそっくれることになりましたが、渡のおかえりの時間には、バトンタッチで開発リーダーがきてくれることになりました。お仕事の報告も兼ねて来てくれるということで、もう一安心。

 

さて、当日。病院に到着。Infusion Centerにいって、自分が座りたい好きな椅子を選びます。腕を温めて血管がでやすくして、それから点滴用の針が刺されます。

アレルギーどめのお薬を飲まされます。私がうけるリツキサンというお薬は、血液のがんの人たちにはよく効く薬ですが、アレルギー反応が出る人がいるそうです。それを抑えながら投薬しないといけない場合もあるとは説明で聞いていました。さらにアレルギー反応が抗ヒスタミン剤でも収まらない場合は、この治療は諦めて、他の治療に移るということでした。なので、第一回目の治療は、非常に大事。しっかりとみんなで目を光らせてうけるという感じです。

アレルギーの薬を飲まされて、一気に眠くなる私。もともと健康体で薬もあまりのまないので、薬が効く効く。椅子にも暖房がついていて、ほかほかしてて天国。こんな感じで治療をうけるのだけど、もう目がとろとろ。

こんなに気持ちいいんだったら、ずーっと治療していたいと思うほどです。

すでにアレルギーどめ薬がきいて、眠くて起きていることは不可能です。ふわふわしていて、いやー寝ていいんだ、幸せ、幸せ。いままで多動の渡を育ててて、どれだけ寝てもいいよ。なんていうことはほとんどなかったので、もうこれは神様がくれたおやすみの時間だと感動するくらい、うれしい。寝よう!寝よう!!

娘に「アレルギーがでたら、すぐに看護士さんを呼んでね」と伝えて、「わかってるよぉ。そのためにいるんだし」と言い返された言葉が最後まで聞こえない。もう爆睡。治療のこの部屋には、付き添いは一人しか入室はできないので、娘の携帯にテキスト連絡がはいって、お友達がいれかわりたちかわりお見舞いにきてくれたのだけど、とにかく目が開かない。震えるくらい眠い。ほとんど誰とも挨拶できずです。きてくださった方、ごめなさい。しょうがないので、もう抵抗しないで、寝ているとしばらくすると頭が痒くて目さめた。とにかくかゆい。無性に痒くてしょうがない。

目を覚まして娘に

「あのさ。今朝、頭あらってきたのに、頭がかゆい。どうしたんだろう?」といったら、娘がすぐに

「だめだ。アレルギー反応がでたんだ!!!!」といい、すっとんで看護士さんを呼んでくれました。看護師さんもあわてて「どこどこ?」とみて

「頭ね」といっていたけど、顔や首などには出ていないので

「じゃ、今、点滴で入れている分のお薬がおわったら(薬は何袋かにわけて体内に注入する)一旦止めて、アレルギーどめの薬剤(抗ヒスタミン)を今度は点滴で入れましょうね。」となりました。看護師さんが私のところからはなれて、アレルギーどめのお薬を手配している間、なんだか背中もかゆい。かゆい、かゆい、かゆいーーーとなってきました。

娘に

「背中もかゆいよ」といったら、見せてみぃ!といって、Tシャツをめくりあげて背中をみてもらったら、もう背中に蕁麻疹のような薬疹があったそうだ。なんだか、ハイヒールで女の人が歩いた後のアカデミー賞のまだらなふみつけられたレッドカーペットか?という感じで赤かったそうだ。また娘がすっ飛んで看護士に

「母、背中にもすごくアレルギーが出ました!」というと今度は複数の看護師があわててやってきて、すぐに投入しているリツキサンのお薬を切ったので、警報音がなりひびきます(大した音ではなかったはずだけど、半分眠っていた私にはそう聞こえた)バタバタとすごい速さで看護士さんが薬を入れ替えて、今度はアレルギーどめ(抗ヒスタミン)注入。

「えっ?もうあの薬うてなくなるの?抗がん剤にかわるの?治療のスケジュールもかわるの?」と焦りまくる私。娘もそれを察して、

「これだけアレルギーがでたら、今後はどのようにな手順で進むんですか?」と聞いてくれました。看護士さんたちは

「担当医には、連絡をしましたので、こちらにくると思います。それで、このアレルギー剤が効けば、このまま治療をすすめますが、きかなければ、一旦治療は中止です」とのこと。

いやーアレルギー止め効いて!お願い!と思うけど、睡魔に勝てず。もう寝落ちするゥゥゥとおもっていたら、

「あっ。すごい背中、色がおちてきた。アレルギー反応がなくなってきている。」という娘の声が遠くに聞こえる。眠い、だめだ。とにかく大丈夫そうなんだということがわかると眠くて意識がなくなる。数十分だったと思う。看護師さんに起こされて

「アレルギーどめ効いたよ。」といわれて、先生もすでにいらして

「普通にあることだし、想定内のことで、これはもう大丈夫。きっちり見ていきながら引き続き、リツキサンをいれていきますので大丈夫だよ。」ということで、にっこりわらってくださって治療続行。

 

お昼の12時前にはなにごともなかったかのように、治療はおだやかに行われて、娘が

「ご飯を買いに行ってくるねー。何がいる?」

と聞いてくれました。サンドイッチをいただきました。お昼から、底なし沼に足を取られるような睡魔はどこかにいき、元気になってきました。娘とも話せるようになり、大学院に通っている頃にあった話や、大学の舞台の話など、他愛もない話をしていたら、おやつの3時になりました。点滴を始めて6時間が経過。開発リーダーが病院についたというテキストが。香穂とタッチ交代です。
「渡を迎えにいって、私と渡のご飯を食べ、プールにいってくるね。なんとなく、ママがなにかあるのは気がついてそうだから、ちょっといろいろ渡の話を聞いてガス抜きしてくるね!」

別に渡がそんなに話せるわけではないのだけど、お姉ちゃんには少しづつは、話そうとするので、よろしくねーとお願いして、入れ替わりにリーダーが入ってきた。会社であったことや連絡など大事なことを報告してくれて、あとはリーダーも病室で机を椅子を提供されたので黙々とコードを書き始めて、私はiPadで漫才を見る。

お手洗いなどへは看護師さんにいえば点滴の電源をぬいてくれて、点滴を釣った棒を一緒にもって歩いてお手洗いにも行けます。なので、あまり困ったことはありません。テレビドラマのように、すっごいシリアスな顔色の悪い病人が、死にそうな顔をして抗がん剤をうって吐く….みないな人もおらず。みんな付き添いの人と楽しく何か話したり、看護師とはなしたりしています。一人でやってくる人も多く、PCやスマホさわって数時間で帰ったりとか、どんどん人が入れ替わり立ち替わりやってきて、点滴しながら看護師と歓談して帰っていくという感じです。この部屋で治療を受ける人たちはたぶん、みなさんガン。若いかわいい女の子も彼氏ときていました。すごく楽しそうに二人で話しておりました。こんなにたくさんのがん患者がいるんだーと思いました。みなさん、どなたも元気。老人の方でカーテン閉めて、ずっと寝ていた方もいましたが、基本この部屋は、どこかで見た風景の部屋です。そうです!街の元気な喫茶店のようでした。お茶やコーヒーなどは、その場で無料でのめますし、私は持参の水とお茶をのんでいましたし、お菓子も食べてました。違いは、ベットに寝ているもしくは座ってる(ベットにも椅子にもできますので)人の腕から管がついていて、その管の先に透明な袋がついている。それだけです。

けど、眠い。点滴後に仕事できますよといわれていましたが、いや、無理です。まだ眠さが残っていて、いつものような頭のキレはありません。

来週から3週間にわたって1週間1回この部屋にやってきて、治療は終了。あとは2ヶ月ごと8ヶ月ちかくかけて、今度は予防のための免疫治療を行います。トータル1年の治療ですね。

道は長いけど、ずっと入院するわけでもないので、慣れれば、すぐに快適になりそうです。

 

<この頃にあったらよかった支援>

インフィュージョンセンター(免疫治療)の初日は、やはり誰かと一緒に行った方が吉と思いました。病院によって違うと思いますが、大抵のアメリカの病院は、つきそいは一人まではできるはずです。何人できるか聞いて、私のように初日にアレルギーが出る可能性がある人は特に付き添いをおすすめします。頭や背中の見えないところに出始めると、看護師に伝えるのが遅くなります。アレルギーはとにかく1分でも早く看護師に知らせて手当してもらうのがいいので、「我慢する」なんていうのはもってのほかですし、すぐぞばに看護師がいても、私のように眠くなってしまっては、なかなか話すのも難しいです。

あと、病院の送り迎えと、お昼のご飯を買いに行ってくれる人。日本だと、病院で出そうですね。さて、また来週から3週間にわたって、治療のための免疫治療がおこなわれます。