自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

死について

香穂は、日本語補習校に通っています。土曜日に週1回通います。そこで社会、国語、数学の1週間分の量を1日で学んで帰ってきます。なので、それなりに宿題もあります。


香穂が日本人学校の宿題をしていました。そこで、ぽそっと

「私、国語嫌いなんだよね・・。高校に入って、さらに嫌いになった。」

といいます。私は、

「しょーがないよ。だって、あんたは、こっちで生まれて、日本には、数週間しか行ったことないし、現地校だって、日本人が、なぜかまったくいなかったし。日本人が多いシリコンバレーでは、めずらしい環境だったから、高校レベルの日本語がわからなくても、それは・・」

と言うと

「違うんだ。別に読めないわけじゃないんだってば。」

と言います。


よくよく話をきくと、高等部に入学してからの香穂が使っている国語の教科書の話は、明るい話が1話か2話しかない。

で、人が死んでばかりの小説だ、といいます。


香穂の意見はこうです。

高校2年の国語の1冊の教科書で、8人死ぬんだよ。

漢文や、評論文があるので、70%が小説だったとして、その中で、8人が死ぬって異常だと思う。現地校の英語のクラスの教科書は、日本の教科書の3倍の厚さだけど、一人も死なない。死ぬことよりも、命のことを考えるような小説はあっても、死なないんだ。

ところが、日本の教科書は、違う。いとも簡単に小説の中で次から次へと人が死んでゆく。おかしいよ。だって、普通に生きてて、1年に8人もの人の死を体験することってあまりないじゃない?こんなに簡単にどんどん人が死んでゆく小説を読まされたら、そりゃ、暗くもなるよ。

香穂は、まだ1週間に1回しか、この本を読まないのでいいけど、日本の高校生は、毎日国語の授業があるわけでしょう?毎日、毎日、こんな死ぬ表現を読んでいたら、死があまりにも身近になりすぎて、簡単な選択にならないか?と思う。だから、私は、日本の国語は、嫌いだ。

おぉぉ~!高校生になったのねぇ。と思った私。


高校生って、人生で一番楽しいというか、ハイというか、高揚する時期に、1年に8人もの死を読まされるのは、私も嫌だ。私も手にとって見てみたけど、たしかに、暗い。私が高校生の時は、ここまで簡単に死ぬということが、教科書には、出てこなかった。死ということが真剣に出てきたのは、夏目漱石の「こころ」くらいだったんじゃないだろうか?と思う。

こころ (岩波文庫)

こころ (岩波文庫)

アメリカ生まれの香穂は、日本語補習校の国語の先生に

「なんでこんな暗いことばかりを勉強するのですか?人が死んでばっかりです。」

と言ったら、

「そうじゃないのよ。それは、その小説たちの話の奥には、もっと深い意味があってね・・」

と言われたそうだ。

香穂は、言い返しはしなかったけど、奥に意味があるっていうことは、よーするに、人が死ぬということをいったん受け入れて、読まないとその奥は汲み取れないわけで、結局は、人の死というのを読んだりしないといけないわけじゃん。と思ったそうだ。

なんか、私が思ってるより、香穂って日本語もわかってたし、考えていたのね・・。