自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

自閉症の渡への22年分のつぶやき。

明日は自閉症の渡の人生最後のIEP(個別教育計画)の日です。最後の締めです。

0歳の時に気管の奇形と重度のアレルギーがみつかり、それから10年近く、何度も命が危なくなりました。1歳の時に発達の遅れが見つかって、IFSP(個別家族支援計画)から始まり、2歳の時に重度の自閉症の診断。3歳から、IEPに移行。以後19年間、渡が教育を得るためにIEPをがんばってきました。

彼が学び、のびるために「チーム渡」は、なにができるのか?を考え続けた19年でした。毎年IEPの会議が終わると、ヘロヘロになって、歩けないくらいで、夕飯どうするか?と思うような感じでした。IEPのチームは最大の時は26名にもなり、これらをうまく束ねなければ、渡の教育が止まってしまうのです。会社のように毎日一緒にいれたら、まとめもうまくいく感じがしますが、あちこちに散らばっておりました。

全力で自分の生活を犠牲にしてまで、渡の教育に力を注いでくれた人もいます。わたしの代わりに砲火を浴びてくれた人もいます。けど、いい加減に手を抜いてやりたい人もいて、相手がわたしとコミュニケーションをとりたくない場合もありました。給料だけをもらおう、自分の地位だけを上にあげようとした人たちがいたのも事実。まるで北極の氷山にのみをいれて崩していくような作業になった事も一度やに度ではなかったです。


わたしは、障害児教育法もこれでいいか!というくらい勉強しました。IEP Formもどこになにがかいてあるのか?目的はなにか?空でいえるくらいになりました。障害児っていらないんじゃないの社会に迷惑じゃないの?といわれたこともありますが、それもどんどんつらの皮が厚くなってきて、聞き流したり、自分の意見を言えるようになりました。

多くの人が私たちを助けてくれました。ありがたい限りです。渡、頑張ったよ、わたし。渡、これがママの精一杯でした。足りないところはいっぱいだったと思うけど、まぁ、

「このへんで堪忍しといたってや。」(笑)

私が1歳の時に障害のある渡に願ったこと。

成人になった時に、生きていてほしい。笑顔でいてほしい。こんにちは。と挨拶ができてほしい。

というのはしっかり叶えてくれて、ありがとう。

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人生で一番おおきなプレゼントです。自分だけじゃなくて、周りにもいっぱい、いっぱい笑顔を生み出してくれている渡の凄さには驚くけど、まだまだこれからも楽しみな人生だね。身辺自立の目標を頑張ろうねー。お仕事頑張ろうね。いままでみたいに、お姉ちゃんとも仲良くしていこうね。

これから教育面は、独学になっていくだろうけど、これも自分のペースで勉強できる喜びを掴んできているね。さて、明日9時にスタートの最後のIEP。9時にあらたな長距離のスタートラインに立つつもりで、頑張ります!終わった瞬間、泣いたらどうしよう...。とりあえず、日本手拭いも持って行っておこう....。