娘の香穂が10月で20歳になります。今、香穂は渡の後見人についてのこともやっているため、成人前に幸せっていうことについて話してみました。
まず一般的に香穂の周りの友達の間で言われる幸せ。
「私は結婚して幸せになりたい。」
「一人で生きるのは嫌だけど、結婚はめんどくさそう。パートナーとして一緒に幸せになれる人が見つかるかな?」
「自分に自信はないけど、傷つくのは嫌だ。けど、彼氏は欲しい。」
という事が言われるそう。香穂は、
「これは、お話にならない。」
と言う訳です。幸せなんて各自で違う。自分の幸せは何なのか?がきちんとわかっていない人が「結婚して幸せになりたい。」や「一人で生きるのは嫌だし、結婚はあまりしたくないし。けど、一緒に幸せになれる人」
っていう話をするそうだ。こういう話の前に必ず
「私の幸せはこういうことなんだけど、そういことを一緒に考えられるパートナーがいるかな?」「こういうことが私の幸せなんだけど、どうやってその幸せを達成するか?」の話が先だそうです。
わかりやすく言うとこうですね。まずは私のことから。
私が毎日感じる幸せや将来こういう幸せが欲しいというのは、
1。たっぷり寝て5km走れると幸せ。さらに体調よくて、10km走しれれば、なお幸せ。
2。庭で畑仕事をできれば幸せ。土をいじっていたら、楽しくてほっこりする。
3。朝ご飯を食べて片付けをして、お日様の当たる場所で紅茶か珈琲を飲みながらストレス無く本を読めれば幸せ。
4。ハイキングに行って綺麗な景色をみるのは幸せ
では私の不幸は、
1。絵を描かかされると不幸。絵は苦手なのでストレスになる。
2。歌を人前で歌わされるのは苦手で不幸。
娘の香穂の不幸せ&幸せを私と比較してみると
不幸なこと
1。走るのは大嫌いなので、走らされると超不幸。
2。庭で土をいじると虫がでてくるので、すごく嫌。庭の土いじりは不幸。
3。ハイキングはまぁまぁだけど、虫がでると一気に不幸。
幸せなこと
1。絵を描くことは幸せ。絵でもっといろいろ表現したい。
2。歌は歌うとすっきりするので、歌うのは幸せ
3。ストレスなく漫画を読むのは幸せ。
親子でここまで違う幸せの感じ方です。香穂の結婚観や友達との話では
母親から生まれた私(←香穂)でさえ、母親と幸せの感じ方はここまで違う。他人であるパートナーだったらもっと違うのでは?幸せは、自分で努力したり人を思いやったり、行動したりして感じるもの。漠然とパートナーが欲しい。幸せになりたい等という話の前に、私が感じる幸せっていうのはこれです。と、明確に提示でき、表現できる力が、自分が幸せを掴むのに大事なんじゃないかな?
あとは感謝の気持ちだね。まず、私の場合は、自分の命がある事に感謝。次に五体満足に生まれた事に感謝。考える脳があることに感謝。自分の思いを自由に表現できる事に感謝。これが最初。これらの感謝がなければ、自分の幸せを定義することができず漠然と「パートナーが欲しい。結婚がしたい。一人になっちゃう。彼氏が欲しい。」という何を求めているのがか、わからない甘い人間になるんじゃないかな?
感謝がきちんと自分の中でできれば、渡のように表現できなくて不便な人をどうやってたすければいいか?という案もできるんじゃないかな?できる人がみんな助け合うべきだし。
傷つきたくない、全員に好かれたいというのは欲求としては理解できるけど、これをすると自己がないので、成長は望めない。人としていきて行く中で傷もつき、それを人の中で癒しながら生き、それに対してじゃ今度はどうやって努力しよう、何が自分ができるのか?得意なのか?何が自分がぬきんでているのか?がわかるわけで、傷つきたくないや、みんなに好かれないと嫌だという人の感情をコントロールする事ばかりに気を取られていると自分の目標がないので、空虚な人生にならないか?
という案でした。ここに書いたのは香穂の考えのほんの一部です。へー。すごー。びっくりした。やっぱ自閉症の弟と一緒に住んでいるので、表現できない不便さ、辛さ、もどかしさを見ている訳ですね。他人みんなに好かれるっていうことを目標におくと、それは他人の生まれた環境、考えに介入しないといけない事なので、所詮無理なこと。それよりも自分がしたいこと、自分のしあわせを具体的に述べる事が基本だそうだ。
なんだか、私が香穂の結婚感や成人になったらの人生についてーーーを述べるはずが逆に諭された香穂との会話でした。