自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

アメリカのゴミ屋敷から見つかった上野の不忍の池にある寛永寺の書。その1

10月21日(金曜日)我が家の近くでムービングセールがありました。今回は珍しく、渡がタンスを買いたいと言っていたので渡も参加。わりと静かな住宅街で、お庭とかも綺麗に手入れをしている家も多い地域です。そんな場所の引越しセールに行って目撃したものは!!!一面のゴミ、ゴミ、ゴミ....。たぶん、立ち退きを要求されたものと思われ..。あけ放ちにし、裏庭で行われた引越しセールの中から見えた家の中は、人が一人通れる通路以外は、両面にゴミ。

ゴミの崖ができています。そんな中でみつけた書画。

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なんじゃこりゃ??という感じでした。とりあえず、iPhoneで撮影して、会社に帰社。まったく読めなかったのだけど、最後の

東叡山 寛永寺

だけは読めた。

私は、なぜか会社でもそわそわしてしまい、寛永寺についてざっと調べると

  • 寺は上野にあるということ(私は、東叡山だから、比叡山の東にあって、滋賀県にあると思い込んでいた。)
  • 寛永寺には、徳川将軍の6名が眠っているということ。
  • 明治時代の戦争や、第二次世界大戦の空襲などで、ほぼ、現存するものはないということ。
  • 上野の不忍池のある弁天堂は、この寛永寺の中のものだということ。

などがわかりました。寛永寺のWeb ページはこちらをクリック→寛永寺

東京のことは東京の人に聞くのがいいと思い、こんなものを見つけましたとfacebookではなしたら、すぐに、誰か知らない?と拡散がおこり、東叡山というのは、比叡山と琵琶湖を模して、東京にお寺を立てたということです。上野不忍池が琵琶湖。寛永寺延暦寺ということですね。と教えてくださった方もおり...

なので、もちろん天台宗のお寺。ということまでわかりました。みなさん、一気に返事をしてくださいました。

手紙の内容も、書画をやっている友達や私の父が古文書の勉強をしていることもあり、マクレハーさんという方に寛永寺の当時の住職が、御寄進のお礼状を書いた内容であることが判明。昭和10年2月に書いたものだそうです。ということは、戦火を逃れた書だということ。

もし私の祖母が書いた書がアメリカで出てきたとしたら...。やっぱり私だったら読みたい。と思った。

なので、慌てて引越しセールをやっていたゴミ屋敷に戻ると、2時までやっているはずのセールは終わって、静まり返るゴミ屋敷。エイやと思い、正面玄関のベルを押しました。すると中から、細いゴミでできた通路を通って全裸の男性がでてきた。

疲れて、裸で寛いでいた模様。で、事情を説明するとすぐに売ってくださり、入手。このまま私がかわなければ、たぶんブルドーザーか何かにひかれて木っ端微塵になるのは必至。

あわてて会社に重い額を持ち帰り、開発リーダーにも「えっ?そんなマジなものだったんですか?」と言われて、そーいえば、と謎が浮上。勝手に行動を起こしているけど、現在も寛永寺に子孫がいるのか?そのご子孫の方達が、本当にこの書画を読みたいのか?というのは、御本人たちに聞かねば分からず...。

というので、そのこともFacebookで話すと、すぐに

私、寛永寺から、徒歩3分のところに住んでいます!

という方が現れました。彼女は、私の知り合いで、もう優しいという文字が服を着て歩いて話しているような方です。おぉぉ、適任者出現!私が行くと、大阪のおばちゃんで怯えられるけど、彼女が行ってくれたら、ものすごくおだやかに順調に話もすすむし、しっかりお寺側も話を聞いてくれると思ったので、

申し訳ないけど、寛永寺まで行って、この写真をみせて、本当に寛永寺のものか?必要か?

を聞き出しくださいとお願いしました。優しい彼女は二つ返事でお休みを返上して、寛永寺に行ってくださり、執事の方に写真を見せてくださいました。執事の方いわく、

昭和10年に住職をされていた、大多喜守忍大僧正のお手跡で間違いない。晩年の書で、お孫さんがまだご存命。もし寄贈いただけるのなら、いただきたい。

とのことでした。もちろん、もちろん、喜んでお引き渡しします!お孫さんがすでに70歳ということですので、どうにかお元気なうちにお渡ししたいと思う私。

さて、ここからが問題。手紙だけ額から出して持っていけばいいわけですが、なんと手紙が本当に正式な額装にされていて、布に貼られているので、折ることも、畳むこともできません。ガラスは昔のものなので、非常に重い...。はてさて、どうするか?私がたまたま日本に帰る都合もあったので、一緒に飛行機に乗せようとしましたが、折れないために、そのまま梱包しても、規定の荷物の大きさからはみ出す...。

調べていくうちに、どうも航空会社は、歴史的な額などは、あまり乗せたくないというのが本心らしいというのも、いろいろな情報からわかってきました。万が一のことがあった場合、歴史的なものは、弁償できないし、航空会社で壊されたというようなことを吹聴されては、問題があるからの模様です。

結局、お友達がJALの方を知っているということで聞いてもらい、JALさんが事情を汲んで乗せてくれることが決定!諸肌脱いでくださったわけです。男前、JALさん。ひやっほぉぉぉー。

さて梱包。こうなると開発リーダーの几帳面さにたよるしかない。開発リーダーのものすごく丁寧な作業が開始されました。JALの方から、梱包のコツを教えていただいたので、その通りに綺麗にパズルのように梱包するリーダー。完璧でございます。

そんなこんなで無事に飛行機に乗せることができました。

日本についてからのことは、寛永寺その2に上げます。ここまで本当に色々な方の迅速な対応でことがとんとん拍子に進んでおりました。