6週間に渡る期末試験真っ最中の娘。ずっと描いている。絵が苦手な私としては、見てるだけでも結構辛い...。芸術系の学校にいかないでよかったと思う(絶対に受からないので、心配ないけど)母としては、頑張ってる娘をみても、何も出来る事もない。なので今日は仕事の合間に、ちょこっと長く中休みをとって、8合のご飯でちらし寿司を作りました。
小さい時からこの大阪風の10種類の煮込んだ具を入れてつくる、生ものが入らないちらし寿司が大好きな香穂。我が家では「ちらし寿司」というとのこの煮込んだ具が入るちらしで「外で食べるちらし寿司」が、生ものです。ちらし寿司だけは、我が家ではインスタントは使った事がないです。今年は、お友達が梅をくれた時に、うまく、赤しそが手に入ったので、紅しょうがも手作りにできました。
けど、今日悲しかった事は、この寿司桶がもう壊れてきたかもということ。
ちょっとたわんできてしまったのでした...。まー、もう寿命かも...。むちゃくちゃ何度も使っているし。
この寿司桶を見るたびに、私は祖母のことを思いだします。
この桶は、父方の祖母が私の姉が20歳くらいの頃に、オーダーしてつくってくれたもの。私と姉のを作ってくれましたが、この100%手作りの寿司桶は、姉のほうが桶の大きさが大きかった。農家で育った祖母はえらくそのことを気にしていて、なぜお姉ちゃんのほうが寿司桶が大きいか?の説明をしてくれました。
これは、田舎で生まれ育った祖母としては、田舎では長男や長女などを重んじるので、姉と妹の差をつけないといけない訳で。それで、姉を立てる意味で姉にはおおきな寿司桶。妹の私には、小さい寿司桶をくれました。祖母は、
お姉ちゃんをたてないといけない事。私は妹だけど、同じように大事な子供(孫)であること。お姉ちゃんと協力しないといけないこと。
などを話してくれました。その頃の私の目には、祖母のほうが寿司桶の大きさを気にしてるようにうつって、なんだか
「そんなこと気にしなくてもいいのに。どうでもいい事なのにぃ。私の分があるだけでうれしいんだけど。」と思っておりました。さらに、こういう手作りの職人気質がするものが大好きな私は、ただ「本物の寿司桶だ!!」と単純に喜んでいて、祖母の言う言葉の意味が余りわかっておりませんでした。
けど、この寿司桶を使いながら、手巻きを食べ、ちらしをつくって、大きくなった長女の香穂をみていると、姉というのは、本当にすごい責任感の元に育つんだなーと言う事が解って来た。特に我が家は、長男(弟)が自閉症な訳で..。彼女の中の「私がしっかりしなきゃ。」という目に見えない圧力とか、自分の責任感とかが非常に見え隠れする訳で。
そうなってくると私は自身の姉の「長女」という責任の重さや祖母の寿司桶の大きさの配慮と言っていた「お姉ちゃんを立てて協力して支える。」などの意味がやっと身にしみてわかるようになって来た訳です。「長女」という看板は、どうしても取り除く事ができないことであって、その責任感などというのは、お気楽御気楽の次女の私には、とうてい解らない訳で。子供を産んで育てて、やっと「いやー、お姉ちゃんって大変だー。」と、いまだにのんきに感じる次女の私。
そんなことがこの寿司桶を通して感じられた訳です。祖母の言う事の本当の意味を理解するのに、数十年もかかったわけです。祖母はこういうことを教えたかった訳ですね。祖母の思いがこもったこの寿司桶。たぶん、私の頭でやっとこの事が理解できたので、引退宣言をしてるのかな?と思った今日でした。
おばーちゃん、やっと私、解って来たかも。
それでもまだ、私に何が出来るのか?の本質がまだまだ見えてないなと感じるお気楽御気楽な次女。おねーちゃん、ごめんねー。今日あたりメールしよっと。