自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

またもやすごい高校生

先日すっごい高校生について書き込みました。

今度は香穂の現地の学校ですごい高校生がいました。アメリカ人です。

今、渡は10月のコンサートに向けて、ドラムの練習をしています。実はこのドラムを渡が始めたきっかけは、香穂が中学校の時にさかのぼります。香穂と同じバンドのクラスにD君という男の子がいて、ちょっとワルぶっている子でした。その子は、ドラムが本当に大好きで、とても演奏が上手な子でした。みんながドラムでふざけて遊ぼうとすると、すごく嫌がり、ステックを貸してくれません。

「ドラムはおもちゃじゃないから」



そんなある日。渡が、音楽室にいくとD君が、ドラムを叩いていました。渡は、ステックを貸して欲しそうにしていたのだけど、私は、D君が、ふざけて叩く人にステックを渡さないのは、知っていたので、無理だよぉ。と思っていたら、すっとステックを渡してくれました。

ご機嫌で渡はドラムを叩きまくり、D君もニッコリ笑ってみていたのですが、控え室のような所から先生ができて、渡、御用。ステックを渡に貸したD君も注意されました。

悪いことしちゃったよ・・と反省の私。


しかし、それから、渡は、

「ドラムをしたい。」

としきりに言っていたのですが、先生が見つからなかったり、いろいろなことがあって、ドラムを習うということは、暗礁に乗り上げました。ところが、このことから、数年後にドラムの先生が見つかり、渡がドラムに通い始めました。その頃D君は、家庭の事情で、香穂と同じ学校をやめて、Boarding school (全寮制の高校)に移りました。渡はどうも、香穂の学校の音楽室で初めてドラムをたたいたことを覚えているようで、ドラムを始めた頃は、香穂の学校と口走っていました。

「あぁ。。。これは、D君があのときステックをかしてくれて、散々叩かしてくれたからだ。」というのを思い出したのです。どうもD君がかっこいいと思ったみたいです。

けど、お礼を言いたい時には、もうD君は、いない・・・。

私は、ステックを貸してくれたD君にお礼を言っていなかったことが、ずっと心にひっかかっていたのです。


ところが、香穂の1年上のD君は、今年、地元の大学の進学を選び、戻ってきました。その上、なんと、秋の大会に向けて、香穂のバンドの音楽の練習のお手伝いに、高校に通ってくれています。

「手紙、書かなくちゃ、お礼いわなくちゃ・・。」とあせりまくりの私。数年間心に引っかかっていたことが、いま伝えられる時です。

香穂には、

「早く書かないと、D君は、大学が忙しくなったら、もう高校に来ないよ。」

と言われる始末。たどたどしい文章で、下記のような内容の話を書きました

D君へ

覚えてないかもしれないけど、渡の母親です。香穂から話は聞いていると思いますが、渡は、D君にステックをかりてから、ずっとドラムをやりたがり、やっと先生が見つかったので、習い始めました。言葉をあまり話さない渡が、ドラムを叩くと本当に嬉しそうで、その姿を見ると私たち家族は全員嬉しくなります。これも、中学の時に、音楽室でD君がステックを貸してくれなかったら、渡はドラムをするなんて言わななかったと思う。お礼が本当に遅くなってごめんなさい。D君のおかげで、私たちは、渡のドラムを叩く時の笑顔がいつも見れて、幸せです。おかげさまで渡は、10月にコンサートに出ます。

この手紙をD君に渡してもらいました。


次の日、D君が香穂に

「おぃ!渡のコンサートの日付けと場所を教えろよ」

と言われたそうで、香穂は

「えっ~!来るの?ヘタだよ」って言ったら

「あたりまえだろ!」

と言われたそうです。そうだよね。上手いコンサートを見に行きたければ、プロを見ればいいんだもん。

「俺、見に行きたいんだからさ。住所教えろよ。おれさあ、転校してから、ドラムやってなかったんだ。けど、きのう香穂のかーちゃんから手紙もらって、ドラムやりたくなってきた。」

「えっ~!あんた、中学校の時にドラムが上手くて大学の音楽のバンドでやってたのに、やめちゃったの?」

「まぁな。けど、香穂のおかあちゃんの手紙を読んでたら、またやりたくなった。俺、見に行くからさ!渡のコンサート。」

「わかった。うちのお母さんに聞いておく」

といって別れたそうです。いろいろあったD君。渡のコンサートで会おうね。

アメリカの大学生の週末って、大量の宿題をこなさないといけないし、本当に大変なのに、来てくれるなんていってくれて、本当にありがとう。