IEP当日です。学校に行くなり、おどろいたのは、ダースベーダーではなくて、通訳の方が自分の赤ちゃんを連れてきていた。これはいけない。というのも、昔、IEPで、話し合いが、うまくいかなかったときに全ての責任を通訳に負わせたことがあるからです。たぶん、この赤ちゃんが、いろいろいわれるんだろう。私が
「あなたには、法律的に責任を負わされることがあるのを知っていますか?」
と聞いたら
「そんなことは、絶対にないです。私は、掛け橋で、来ているだけで本格的な通訳ではないですから。」と答えておりました。ダメだ・・。IEP書類には、通訳と、わざわざ書かれています。掛け橋とは書いてない。あるんだよ。あぁぁ・・。
まぁ普通の人は学区が、なにかするなんて思わないものねぇ・・。後から、なにか問題があって、「こう言われた、ああ言われた、」と言い訳しても、IEPの正式フォームに通訳と書かれていたら、ここは書類の国アメリカです。紙にサインしたら、もうダメなんだよ。気の毒でした。だけど、この赤ちゃん、元気だったので、私がすぐにIEPをキャンセルしようと申し出ました。通訳の人もIEPをまったくわかってないし・・。彼女もわからないけど、騙されて、ボランティアとして引っ張ってこられた感じだからです。けど、学区としては、通訳さんに知識がないうちに終わらせたかったみたいで、赤ちゃんを別室にいれて、閉じ込めてしまいました。そうしたら、御母さんと離された赤ちゃんは、大泣きで、もう話し合いの声も聞こえない。だけど、IEPを続行しようとします。私は、
「幼児虐待をしてるみたいで、すごく嫌だ。」
と訴えて、やっとIEPが閉会に。このメンバーに対しての驚きは、赤ちゃんが話を続行できないくらい泣いていても、全員無視だというところだ。これは、渡が学校で泣いても、平気で無視できるということだろう。
赤ちゃんは、議事録を書き終えるまで、部屋から出してもらえません。かわいそう。出てきたときには、鼻水と、涙でぐしょぐしょ。学区は、どうしてこういうことをするのだろう。帰ってから元PTA会長に連絡したら、最悪のIEPだといって、Parent Adendum(親の意見書)の作成を手伝ってくれるということでした。
ほんと、最悪IEPでした。そんな気分まま夜は、鹿児島大学のツアーのほうに参加しました。素直な学生さんたちと話していると気持ちも晴れ・・。なんか、長い一日でした。