自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

さて東京に向かいます。

松山に来た記念で、松山空港で記念撮影

夜遅くの飛行機で東京に向かった私たち。日曜日の遅い便の東京行きは満席でございました。20時前に羽田に到着し、そこから日本酒を飲むために街を歩く。最初は、秋田のお店に行こうかなとおもったものの、閉店が早かったので、たまたま行ったところが結構よかった!いいお酒の種類もあったし。

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ということで、ホテルに移動。

あー、いい旅行だったし、美味しい夕飯でした!

 

ビバ!松山

東京から兄弟がやってきてくれて、道後温泉でもいくかーとなりました。

飛行機でやってきてくれましたが、別に観光をするわけでもなく...。なにをしたかというと、ミスタードーナツに行きました。

この時期、ミスタードーナツは、ポケモンとコラボして、ブランケットや、カップ等々をいただけるキャンペーンをしています。うちの娘も兄弟の子供(わたしの甥と姪)もポケモン世代。ポケモンで育っています。なので、このグッツが欲しい。わたしの兄弟も「かほちゃんのお土産はこれがいいでしょう」ということで、ミスタードーナツで、ドーナツ食べて、紅茶を大量に飲んで、ブランケットをゲット。今年は紅茶を飲めばもらえるので、まだよくて、昨年後はわたしの兄弟が50個のドーナツを一人で食べたそう。冷凍庫に保存して、地道に食べて、ブランケットなどをゲットしてくれ、香穂はそのブランケットを使いながら絵を描いて仕事するという。

結局、子供抜きで旅行したところで、どこまでいっても母親してしまうんだよねー。

こんなコップのキャンペーンもやっていたので、これは渡へのお土産。

さてさて、観光はいっさいせずに、ただひたすらドーナツを食べ、紅茶を飲んでいたわけですが、きのうのホテルで、3000円のギフト券もいただき、百貨店やお土産やさん、タクシーでも使えると言われました。兄弟で、思案したあげく、父にみかんをおくってあげることに。

真穴みかんというのが美味しいということで、(けど高いのでギフト券では足りず)兄弟で、お金をだして購入。送りました。

父は、一人暮らしなので、食材を買うことに頭がまわっても、果物を買うということまで考える余裕がない気がしたので。父、子供たち二人からのプレゼントでみかんがつくというので、大喜び。いいギフト券の使い方ができました。

さて温泉。

茶玻瑠(ちゃはる)というひらがなで書いた方が断然早いという旅館に宿泊。全国割などもつかえないので、随分高い宿泊になりましたが、もう道後温泉で空いているホテルがここしかなかった。なんだか、ひらがなを無理に漢字にしているところで、南大阪の暴走族みたいで、勝手に親みを感じるわたし。

料理も満足でございました。

ところが!!昼間に「鮮魚旬菜吉」でいただいてるために、これだけの料理の印象が薄い...。

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やっぱ3500円で圧倒させた鮮魚旬菜吉はすごいわ。

ということで、夜は兄弟くだらない話で盛り上がり、楽しい松山の夜を過ごしました。

さてさて仕事です

父が退院して、非常に体調もいいので、わたしも仕事モード。今回は愛媛に大事な書類を撮りにくるという任務がありました。で、そのまま兄弟と日本の北の方を旅行しようかなとおもったのですが、それだとあまりにスケジュールがハードすぎるので、それは中止。兄弟に、愛媛にきてもらうことにしました。

まずは伊丹空港にいき、愛媛に向かう。

父の手術が心配すぎて、朝、空港についたら、「あっ!今回たこ焼き食べてない!」と言うことに気がつき、朝から慌ててたこ焼きを食べる。

一人打ち上げですねwww 驚くのは、「くくる」で働くお姉さん最強。お勘定やお持ち帰りのパック作成、中の飲食テーブル清掃、ビールなどの飲み物提供など、さらに行列ができた人たちを捌くために、たこ焼きを焼くのも全て一人でやっている。

要するにレストランとお持ち帰り、お勘定全てを一人でこなしている。最強のオネーちゃん。アメリカではあり得ないわ。

ということで、満足して愛媛行きの飛行機へ。

あっという間に松山空港(坊ちゃん空港)に到着。とにかくこの街の人たちは何かに名前をつけるというと、「ぼっちゃん」か「マドンナ」しか思い浮かばないようだ。

愛媛は名前を「みかん県」に変えた方が、子供もかけるし、いいかもなぁと思った。

漫才師の「B&B」の「蛇口からポンジュース」もいまだにもじって「蛇口からみかんジュース」が、ありとあらゆる場所で、あります。お店によって1杯五百円から百円まで、さまざまです。

さて、わたしは、午前中にマッハの如く仕事を終わらせて、おそーーいお昼。

2時頃にお昼ごはんのお店に向かいました。

今日はここ。

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お昼に3500円のランチセットがあるので、それにしました。

なんとこれがすごかった。

どんどんと丼の上に地元でとれたの美味しいお魚を乗せてくださいました。その鮮度もすごい。

さらに、店長のサービスで「鯛の皮のゆびき」これが、もう震えました。ぽん酢も全て自家製だそうです。この鯛の絶妙は温度とタイミングがすごかった。

ここは明日東京からやってくる兄弟にも食べさせたいので、速攻で明日のお昼の予約戻りました。

わたしがあまりに喜ぶので、

「お友達がいらっしゃる時は、アメリカの久保さんに聞いたってつたえるようにしてくださいね。僕忘れませんから」ということで、「アメリカの久保」というキーワードを出すと、なんか、嬉しいことが起こるらしい。みなさん、どんどんこのお店に行って、キーワードを出してみてください。湯引きはぜひ食べていただきたい。

ということでしっかりお酒もいただき、ホテルにチェックイン。

仕事できているので、今日はビジネスホテルです。

10月にOpenしたばかりで、大浴場があるホテルで、奥道後から温泉のお湯を引いていると言うので、楽しみ。

で、チェックインしていたら、隣の人が、みきゃんの紙をもらっているので、

「わたしもいただけませんか?」と聞いたら、ワクチンの接種券をご提示いただければというので、提示したら、宿泊料自体が3600円といわれ、「何割割り引くねん!」という金額になり、驚く。さらに3000円分のクーポン券をもらって、タクシーや、お土産や買い物に使えると言う。さらに、「朝ご飯のバフェつき」といわれて、それって、実質無料とどころか、わたしが儲かってるやん...みたいな。さらに自販機のジュースも1本無料。

無茶苦茶すごい割引で、どう計算してもわたしは一円も払っていない旅行になってしまいます。

すごいなー愛媛。どうもこの時期の日本観光の合言葉は、「ワクチンうっていますが、なにか割引ありますか?」じゃないかと思いました。

ということで、明日は兄弟を松山空港に迎えに行き、家族旅行になります。楽しみだわ〜。

 

 

 

ハクビシンと戦う父

うちの裏庭には、柿の木があります。この柿の木が次郎柿で、まぁ甘くて美味しい柿でございます。父は、お世話になっている方に、この柿を分けると大層喜ばれるそうです。
ところが!ハクビシンがやってきて、木の下のほうの柿を全て食べてしまうらしく。このままだと全て食べられてしまう勢い。この柿は、父はやはりお世話になっている介護をしてくださる方々にあげたかったらしい。
 父が近寄るとハクビシンは父に威嚇してきたそうで、逃げることもなく。いやー、田舎出身の父にそんなことしてはいけない.....。ハクビシン、父を老人だと舐めてもいけないよ。そのまま父に棒で突かれるという。数えで88歳の父。ハクビシンと戦うの図です。農家の息子ですので、小さい頃は畑を荒らす動物は徹底的に攻めまくります。戦後のなにもない時代が子供時代ですので、畑を荒らす動物の駆除も遊びの一つだった模様です。ハクビシン、それから二度と我が家には来ないそうです...。父曰く、「あんなにトロくて鈍臭かったら、昔だと田舎だったら、完全に捕まえられて、子供たちの遊び道具になって亡きものにされている。イタチなんかとは大違いだ」と言っておりました。まぁだから繁殖能力がすごいハクビシンなんだろう...。夜行性ですが、昼間に堂々と出てきて柿をたべるということは、動物も生き延びるために、いろいろと生活形態を変えているんだろうなー。
と思いました。
戦後の小さい子供はおもちゃがあるわけではなく、みんなさまざまな野生の動物をつかまえて遊んでいたそうです。父のクラスには、少しおとなしめの小さい子がいて、カラスたちが馬鹿にして、突いたりしていたそう。けど、その子もついに怒って、徹底的にカラスをおいかけ、ついに捕獲に成功。カラスの首と足を掴んで、学校に持ってきたそうだ。執念だ....。
それで、子供が捕まえた野生の動物は、ほとんどのものは、大人にもっていくと大人が食べれるかどうかなどを判断して処理していたそうです。戦後の話ですねー。
 
 

父のこと

父が22歳の頃の写真。

白黒だったものをカラーをつけれるアプリがあるというのをお友達に教えていただき、色を入れてみました。わたしの祖父母(父の両親)の写真も、わたしが持っていたので、父が手術を受ける前に、色付けして見せたらすごく喜んでいました。色が入るとやはりすごく本人に似ていました。カラー写真ってやはりすごい。
父は、写真をみて、元気に手術のための入院をできたことがよかったです。
当時の父はモテたらしい。本当にもてる人というのは自分ではモテたといわれないので、父から聞いたことが一度もない。けど父の関係者の人たちに会うとみんな口を揃えていうので、たぶん、事実だろうと思う。
 
県代表で、バレーボールで国体にも出たそうだ。貧乏農家は、大学進学はできないはずだったのだけど、しっかり兄弟全員大学進学させた祖父母。父の姉2人も大学に行ったそうだ。当時では女性の大学進学は非常に珍しい。祖母は、いつも土地や金は取られることがあるけど、知識は誰も頭の中に手を入れて盗むことができないので、つけた方がいいという意見だったそう。わたしにもよくそう言って「勉強はした方がいい。身についた知能は誰も盗めんでよぉ」と言っていた。
 
 たしかに66年前の写真でこれだと、まったく誰も気にとめないということはないんじゃないだろうか?ひとりくらいは、ちょっと気になると言う女性がいてもおかしくないかなwww 怒った顔など一度もみたことがないし、いつも冷静だし。さらに、今もヘルパーさんなどから、非常にしたわれているし、会社時代の部下は、父のことが好き過ぎて父の家の近くに家を建ててしまった...。
 
父は貧乏農家の末っ子なので、いろいろ苦労もしたらしいけど、系図だけは、ただただ昔から長く、農民が戸籍をつけていいと言われた元禄から、代々の大量のお位牌があるうちの父の実家。わたしもお位牌をみせてもらったことがあるけど、元禄時代のお位牌ってすごい。もっと前もあるんだろうけど、農民は名乗れなかったので、時代が読み取れなかった。
お墓参りなんて行くと、墓が大量にありすぎで、どれが誰の墓だとはもうわからない。すごいわ。けど、わたしは兄弟は姉妹で旧姓はなのっていないので、この家系図も父の代で終わりです。わたしが男に生まれていたらもうちょっとおもしろかったのかな?と思った本日でした。

祝・父、退院!

父がお昼前に退院ということで、お迎え前に、富田林市役所で、吉村善美市長と面談。

お迎えにでてくださったのが渡辺 真 課長。

なぜ、富田林市長か?というと、実は、吉村市長は高校の同級生で、生徒会を一緒にやっていたのでした。

わたしは彼に会いに行ったら同級生のまこっちゃん(⇦渡部 真課長)がでてきたので驚き。

「久しぶり!」とか言われたけど、吉村市長以外の同級生が、富田林市役所で働いていることは想定していなかったので、自分の身の上になにがおこったのか、理解できず。高校の同級生のまこっちゃんが出てきて、しばらくは理解できず。

けど、やっと事態を把握してどでかい市長会議室で、みんなで何ができるかと話し合いました。来年くらいからいろいろ自分の出身の街でなにかできたら楽しいな。

ということで、同級生と過ごす時間はあっという間に過ぎて、さて、父を病院にお迎え。

手術が痛かったそうで、けど、執刀医とお話しする時間はなく、看護師さんとお話し、状態を把握できたので、この病院には関係ないけど、友達の医者にいろいろ説明したら、丁寧にわかりやすくどういう手術だったのか?とわかりやすくメールで説明をもらいました。それを父に見せたら

「おぉぉ!そういうことか!」と納得してくれて、ほっとした模様。術後の経過はよさそうです。ほっ。

大阪です

父がマイナーな手術をして1泊2日で入院するので、朝から病院に付き添ってきました。コロナなので、病室などもいけませんでしたが、看護師の方などとは無事にしっかり話せて、注意事項も聞けました。

父を病院に落としたら、わたしはすぐに難波へ。

足りないものや娘のたのまれものを買いに行きます。

難波に到着してすぐに、とみ多へ

口コミ一覧 : とみ多 (とみた) - 大阪難波/割烹・小料理 [食べログ]

初めてうかがいましたが、いやー美味しかった。量が上品でブリの照り焼きの味付けのおいしいことといったらありません。カウンター席に座ったら店主が天ぷらをあげていたので別注していただいてしまった。これがまた美味しかった。

昼間から日本酒もいただきました。

お昼のランチセットはわりと大阪は量がどっしりときて、雑なイメージがあるのですがここは丁寧で美味しかったです。

お店が難波の中心地にあるのでやはりこじんまりしていて、すごくいい感じなので、昼間は、あっという間に席がうまっておりました。

ご馳走さまでした。元気が思いっきりでました。

つぎに、「なんでこんなところに来てしまったのだろう。私のバカ。荷物重い…」となってしまったところ。

さて、そこから一気に用事をすませます。高島屋で、紅茶を購入。

重い荷物をもちつつ北花田へ。

世界一の売り場面積がある無印良品がある、ということだったので、そこで娘からたのまれたものを購入。こんなに長いレシートに。

購入したものの重さは13kgでございます。うちの会社の周りは、食べるところがあまりないので(シリコンバレーは、会社のあるところ、ご飯のたべれるところが綺麗にわかれているので)レトルトのものなども購入。忙しくて食べ物を買いに行けない時に、それらを食べるかーと思い。

ほとんど人間クレーン車になりつつ、実家に到着。重かった。

日本到着

羽田に朝の4時半に到着したのですが、入国で手間取り、6時20分に乗るはずだった大阪への乗り継ぎ便にのれないという。購入時からこの乗り継ぎは短すぎるとおもっておりましたが、変更が聞きませんでした。ANAの方が張り付いてくださって、次の便の手配をしていただき、次の便で大阪へ。機内であまり食べなかったので、朝に24時間やっている居酒屋でご飯。

朝からビールも飲めて、ほっとした。さて、実家に向かいます。

着いた途端、一気にすべきことをやり始めております。

明日は父に付き添い病院です。

日本です

日本です。

父がマイナーな手術をするので、一人で入院して退院は、大変だと思いさらに、ちょっと心配になり帰省。

急なスケジュールだったので、スケジュールがつまっていて、深夜便で飛ぶしかなかったという。

これは、疲れ果てたので、二度としたくない。

日本に到着してからもすごい時差。

次回から、深夜に日本に向かう飛行機には乗らない