自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

8. 私が血液のがんの悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話。私が娘に頼んだこと。

 

2017年5月10日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはⅣでした。グレードは2でした。

 

癌告知の日。夜中に娘が泣いていたのを見た私はまず娘に

「どうして泣いてるの?」という質問をしました。

「死なないっていうことはわかってるんだけど、やっぱり。悲しいし、不安だし。」

という回答でした。確かになー。私が子供でもそう思うわ。いやー、申し訳ないわー。

ということで、香穂にお願いをしてみた。

 

私は必ずこのがんは治すのだけど、治った後、自分ががんだったということは、ブログにあげます。ただの体験談で終わらせないためにも、アメリカで私と同じがんにかかった人がどのような支援があるのか?とくに親族が少なく支援が少なくなりがちな日本語を読む人のためにも、それをブログにあげたいので、私と同じ悪性リンパ腫のサポートグループをネットで探してもらえないか?受けれる支援はうけてみて、どういう風に役に立つのか?それもあげてゆきたい。サポートといっても、相談やカウンセリングのようなことは、日本人にはハードルが高い気がするし、海外でガンと戦いながら治療するというのは、孤独で凄くハード。なので、一人ではないんだ!とわかることや、お金に関することなどが一番シリアスな悩みだと思うので、そんな感じの情報がいいかな?

渡が自閉症だとわかった時も同じように、支援があることや、日々の生活等々をあげたので、同じことをしようと思う。日本に住んでいる人たちが、私の受けている支援を読んで、日本にないサービスや支援などにを作ることを考える人が出てくるかもしれないし。

と話しました。香穂は、明るくなって、

そうだよね。それがいい。私も頑張って探すわーといって、いろいろ探してくれたのがこれ。

 

下のリストは、私の悪性リンパ腫や非ホジキンリンパ腫に沿ったものなので、他のがんの方は、いろいろ調べてください。

とりあえず、なにか一つ支援をうけてみてください。

 

  • List of Freebies(無料で提供されるもののリスト

https://www.fifthseasonfinancial.com/blog/freebies-for-cancer-patients/

 

  • ガンの種類によっては、もらえないものもあるので、ガンの種類をよくみてください。

http://guide2chemo.com/freebies-cancer-patients

 

  • ある女性の母親が血液のガンにかかった時に調べた無料のグッズをプレゼントしてくれるリスト。リンクはないので自分でグーグルでプログラムを調べないといけない。

http://www.lifewithheidi.com/freebies-for-fighters/

 

  • 主にお金の支援などをしてくれるところ。病院のお支払いなどで困りそうという場合は、相談してみるといいかも。

http://www.lls.org/support/financial-support

 

  • アメリカではわりと古くからがん患者やその家族を支援をしています。Look Good Feel BetterAmerica Cancer Societyの化粧プログラム。1989年に始まったらしい。4時間の化粧トレーニングを受けたボランティアに化粧の仕方、髪の毛を失った場合のオプション(カツラ、ターバン、スカーフ)や、ネイルケア、後治療中に体に目立つ治療の後をうまく隠せるような服の色や形選びを教えてもらうそうだ。ネット上では、エスティローダーなど、七百ドル近い化粧品をもらったというひともでてていました。 日本でも化粧品会社が集まって、こういう支援をしてくれるといいな。

https://www.cancer.org/treatment/support-programs-and-services/look-good-feel-better.html

この団体のがんのヘルプライン。

(800) 227-2345

 

  • リディアプロジェクト。カバンの中にテッシュや靴下、様々なグッズもありました。私は応募して、頂きました。手作りのカバンが送られてきて、応援してくれる人がいる!ということを常に感じられて、とてもうれしくて勇気もでてきて、いつも免疫治療の通院時に持参していました。

http://www.thelydiaproject.org/

いただいたカバンはこれです。

Loveと書かれた手作りカバンで、これを毎回免疫治療にももっていきました。

 

 

  • Road To Recoveryはボランティアが治療先まで運転してくれるというプログラム。America Cancer Societyのプログラムで、癌の治療のためだけしか運転できないらしい。(フォローアップのミーティングとかは無理だそうだ。)後、自分で車から受付の部屋まで歩かないといけないらしい。(要するに運転だけを担当して室内までは運べないようです。)タクシーみたいな感じだと思います。家族が忙しくて、運転できない時などに、いいかも。

https://www.cancer.org/treatment/support-programs-and-services/road-to-recovery.html

 

 

  • Dive For A Dayアメリカの各州にあるスパ/エステで1日ただでのんびりしてくださいというプログラム(https://www.facebook.com/Diva-For-A-Day-147205915391526/)。参加してるエステの中でベイエリアでは、Menlo ParkのAlex Chase Salonというのがあります。Stage 4の女性はいつでもオッケーだけど、それ以外は診断を貰ってからセラピが終わって6ヶ月経った頃までの期間しかいけない模様です。パッケージにはマッサージ、顔のケア、マニキュア、ペディキュア、メイク、シャンプーとスタイリングをやってくれます。近くのレストランからお昼も提供されたり、帰るときにお花のブーケがもらえるとのことです。

http://www.divaforaday.org/nomination-forms/

 

  • 治療のために街を離れないといけない場合、Extended Stay Hotelは格安でホテルを一室貸してくれるらしいです。日本のほてるもこういうサービスをおこなうといいかもです。

https://www.extendedstayamerica.com/acs-partnership

 

  • Lisa’s Armyというケアパッケージをただで送るプログラム。なぜかiPadかBeatsのヘッドフォンのどちらかががもらえるっぽい。ただし、医者かナースかソーシャルワーカーと書類を書かないといけない。アプリケーションはスキャンしてこちらに送ってとのこと:info@lisasarmy.org

  娘が看護師さんといろいろ話して、Lisa's Armyのアプリケーションにサインをしてもらって、パッケージが送られてきました。みかん箱2つはあるんじゃないか?という巨大な箱が自宅に送られてきて、開けた途端、涙が止まりませんでした。

送られた一部がこれ。

今回のがんで泣いたのは、この1回だけ。子供たちの寄せ書きや、みなさんからの応援のメッセージ。iPadもはいっていました。これは、免疫療法の時(きもセラピーの部屋で)毎回7時間とかかかるこの時間に漫才を聞いたり、音楽を聞いたりする時も使っていました。

http://lisasarmy.org/nominate/

 

  • Wally’s Smileという、癌と戦う犬と人間にケアパッケージを提供してるNPOです。犬がおくられてくるわけではなく、同じアメリカのどこかでがんと戦っている犬のことが知らされるのかも。パッケージはただだけど、内容は書いてないので、何が届くのかはよくわらないです。

http://www.wallyssmile.org/care-package-request

 

調べた一部をあげました。これは一部ですが、みなさんどんどんぐぐって探してください。お友達ががんだとわかったら、探してこんな支援があるよと教えてあげてください。

<この頃にあったら嬉しかった支援は下記>

上記にもあげましたが、がん患者というのは、告知を受けてから考えることは、自分が治療を受ける間の家事のこと、家族のこと、子供の学校のこと、仕事のこと等々をどうするか?を考え、それらの手続きをするので精一杯です。もっとも大事にしないといけない自分のことは二の次、三の次。なので、娘がいろいろ調べてくれて、この中の2つに、応募してくれて荷物がついた時には、本当に嬉しかったです。自分はこの世界からいなくなるかもしれないという不安感は100%消えるわけではありません。夜中やふとした時にその心配は浮かび上がってきます。やはり末期という言葉も患者本人にとっては、大変重いものです。そのような中、この世界のどこかで、がんの私を応援してくれる人がいる。それも会ったこともない子供たちや大人たちでも応援してくれているということを肌身にしみて感じた時は、本当に嬉しかったです。なので、がん患者の周りにいる方達が、サポートできるような団体を調べて、いただけるものなどのグッツなどを手配していただくといいと思います。うれしいものですので、手続きを本人と相談しながらおこなってあげるといいと思います。

以上のことは、がんになってよかった。人様の暖かさを感じたことでした。元気になったら、私のような力のないものでも社会の役にたつことがあるんじゃないか?生きねばと心から思えたできごとでした。

 

 

 

7. 私が血液の癌である悪性リンパ腫の告知を受けた日の事。

香穂の大学院の卒業式の日に一緒に癌告知を受けて、さて家に帰宅。香穂も予測はしていたものの、彼女はあまり病気のことを調べていない(卒業試験もあり、調べる時間ももったいないのであまり調べるなとは話ておりました)ので、ショックはうけていたみたいです。香穂には、冷静に私の思いを話しました。

「まず。私は死なない。薬もいろいろ調べてわかったけど、私は絶対に死にません。先生のところでみせていただいたPET スキャンの画像には、全身にがんがうつっていて衝撃だったけど、それは治るので、あまり視覚から入った情報に、自分を占領されないように」と伝えました。

あと私から伝えた事は、

1.就職活動はしっかり行う

2.私のがんなどとは関係なく、我が家は「働かざるもの食うべからず」なので、就職が決まるまで家にいるのなら、家事か渡の育児(というか、福祉や医療のほうの対応やプログラムの対応、送り迎えなど)を担当するか、バイトをすること。

3. 私の治療などにも立ち会うか、立ち会わないのか?なども決める

等々を話しました。香穂の希望としては、

 

1.就職活動で行きたいところには、全て書類をだしたけど、第一志望のところは、結果が来るまで数ヶ月かかりそうなので、その間は家で結果を待ちたい。どうしても第一志望の会社に行きたい(ソニーアニメーションスタジオでした)合格できるのは一人だから、ダメだったら、すぐにいわれると思う。とのこと。時間がかかるとしたら見込みあるかも。と考えていたようです。

 

2.家にいる間のお手伝いは、主に渡の身のまわりのことや、音楽のクラスにつれていくとか、ご飯を作るそういうのは担当したい。私が出る前にきちんと渡の生活を確立させておきたい。母である私の治療の送り迎えなども渡と重ならない時は、私がやりたい。心配だし、何がおこっているのかを知りたい。

 

というようなことを言われました。

それでお互いの今後のすべきことが決まったと安心していたんですが

真夜中。わたしは喉がかわいたので、リビングにいくと、彼女はリビングで、絵を描いていて、顔を見ると目を真っ赤に腫らして一人で泣いていました。流石にガンの本人の前で泣くのは憚れた模様で、一人で泣いていたわけです。あぁ。これは、かわいそうだな。たしかに母親が末期の癌だといわれて、悲しまない子供はいないだろうと思い、私は香穂にあることを頼もうと思いついたのでした。続きは次回。

6.私が悪性リンパ腫(血液のがん)の告知を受けた日のこと。お医者さんからの告知の日。

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはでした。グレードは2でした。

さて、表記にもある510日(水曜日)が来ました。朝から娘の香穂の大学院卒業式のために、サンフランシスコに向かいました。香穂と渡とで無事に卒業式に参列しました。

無事に元気に参列できて、ほっとしました。たぶん、これで子供達の卒業式というものはもうなく、母親として最後の子供の教育関係の行事になるのかな?とおもいました。この日から数日行われる学内での展覧会のようなものも、香穂の作品は代表で選ばれているので、それも母としては、嬉しい限り。

卒業式は感動でおわりました。おわってから。他のお友達が、香穂へ

「卒業式が終わったら、家族とご飯を食べに行く。バイバーーーイ!またあとで連絡するねー!!」とかもう心の底から喜んで笑顔で話しています。香穂もたくさんの友達とハグをしたり、笑顔で話しおりました。一通り友達や教授に挨拶をして、それから香穂は卒業式で来たガウンを丸めてカバンにいれて、車に乗り込み、病院に母のがんの告知を聞きに行く日になりました。渡をどうするか?は、二人で前もって相談したのですが、病院に行く前に家に置いていくことに決定。その場で渡に説明するのが大変なことと、パニックになると告知どころじゃないだろうということで、後から噛み砕いて渡にわかりやすいように話すことになりました。渡に留守番をしてもらい、香穂と聞きに行きました。あたりが真っ暗になった夕方。こんな真っ暗な時に、がんの告知をきくのは、香穂は結構つらいなー、と思いました。やはり告知は、朝に聞きたかったなーとか.. .車を飛ばすこと1時間半。自宅に渡をお留守番のために置いておき、香穂と病院に向かいます。私は「いざ鎌倉!」みたいな気分になるかな?とおもいましたが、もう論文なども読み漁って、最新の治療方法などもしっていること。卒業式にも参列できたこともあって。ものすごく穏やかな気分で病院の腫瘍科にむかいました。

病院の腫瘍科受付で自分が予約が入っているので、受診に来たことを告げると、今の精神状態を聞かれる問診票が渡されアンケートをすわって記録することを申し伝えられます。数値で自分の気持ちを伝えます。

最高にいい気分!が10で、沈んでいるが5、自殺したくなるが2とか、そんな感じの指標でした。

香穂に「私、今日卒業式に出れたし、何をいわれるかもだいたいわかってるし。質問票も全てまとめてきたし。できることは全部したので、最高に気分いいので、10かな?」といったら。

「そうねぇ…..。けどさぁ。いまからガンの告知をうけるのに、10だったら、それはそれで、あぶなくないか?9くらいにしておこうかね」「それがいいんじゃないかな?」となり、9に丸をする。

ここで、死にたいをえらべばすぐに、すぐにガンの専門のナースや心理関係の人がつくんだ、マンツーマンでつくんだとおもう。

他には、安全に治療がうけられるか?こまっていることはないか?送り迎えは大丈夫か?虐待はうけていないか?家族内に治療を妨げることはないか?等々の質問に答える問診票でした。全ての準備や手配は全ておわっているので、問題はなにもないという問診票を提出。

しばらくすると病院の待合室にナースがやってきて、名前が呼ばれました。診察室にたどりつくまでに、長い廊下を歩くと両側にたくさんある各診療室から、家族や患者さんのすすり泣く声や、大声が聞こえます。こんな夜にきているということは、ガンの告知をうけているのでしょう。それも結構みなさん重度段階かもと思いました。

「えっーこれ、シビア
と思いながら、自分たちの診察室で先生がくるのを待つことに。ただ、この時には、もう2週間、必死で血液のがんのことに関しては調べまくり、質問はバインダーにまとめて持って箇条書きにして持ってきているので、私としては、できることは全てしたという気持ちで余裕でした。いろいろな治療薬があると知っていたからです。香穂は香穂である程度の覚悟はしていた模様ですが。香穂は、明日から、もう宿題もないわけで、就職もまだ決まっていなかったので、当分は母の介護をしたいと思っていた模様でです。

渡の面倒もみないといけません。

診察室で待っていたら、先生が入室。私たちのいる部屋の空気がものすごく明るいのに、ちょっとおどろいた感じもしていましたが、すぐにこの明るい空気に先生も乗ってきて、握手をしてすぐに検査の結果を告げらました。

「悪性リンパ腫で、非ホジキンリンパ腫のB。今のところは、ステージはになるけど、骨をしらべてないので、骨まで浸潤していたら。血液のがんなので、すでに全身にひろがっています。ただ、このがんは普通のがんとは、ちょっと違い、になってから治療しても助かる人が多いとのこと。整理してみると言われたことは下記のような感じ。

 

1.悪性リンパ腫という血液のがんの中の種類は、濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)だということが告げられました

 

2. 末期まで待って治療するとこともできるというチョイスもありますといわれました。けど、末期かどうか?は、骨にまでがんが浸潤しているかどうか?も加味せねば成らず、骨をけずり取る生検はこれから行う。これは、もう確実に行うことが決定。

 

3. 薬はいろいろ種類がありますが、immunotherapy(免疫療法)をまずは行う。6割の人がこの薬が効きます。なので、薬が効かない4割に私が入ったとしても、まだまだ薬はいろいろあるので、試す機会がある。免疫療法は、髪の毛も抜けず体に負担もすくない。

 

4.稀に投与する薬に重篤なアレルギーが出る場合がありますが、その時は、ナースがついているので、抗ヒスタミンを点滴薬の中にいれるので、心配ない。万が一この薬きかなくても、他に薬はある。

 

5.入院はしない。通院で免疫治療を開始します。

 

6.骨の生検をした後に、治療を開始をきめるか?今決めるとしたら、保険が効くかどうか?を確認してから、準備をして始めるので、少し時間がかかるかな?

 

などでした。

 

<ここからの私が感じたことと、先生に伝えたこと>

 

.告知について。

告知された瞬間は、ビンゴ!だと思いました。この日にこの病室に来る前に、死ぬほど学会論文などを調べておいて、質問表も用意しました。ほんと  

Google Scholar

 万歳です。この上の字をクリックするとリンクにとびます。英語で探すと最新の情報がとれます。これが今日になってやっと報われるというか、生きてきました。濾胞性リンパ腫の非ホジキンリンパのBだと進行が他のがんより遅いこともわかっていたので、今日や明日に死ぬことがないのもわかっていました。最悪でも半年は持つのでは?半年あれば、子供達に色々なことができるという推測もありました。とりあえず、ほっとしていました。

 

.治療開始について

今回の検査の中で、骨の生検が一番怖かったです。とにかく私は注射ということが大嫌い。注射した上に骨まで取られて、お金まで取られるとか、わけわからんし。みたいな。

けど、先生からは、「治療、頑張れるかなぁ….。」といわれて、はたと気がついた。余裕だ。自閉症の渡を育てている私の人生に比べたら、がんの治療はまだマシだということ。渡に何かしてもらおうとしたら、まずは渡に理解してもらって、渡自身にやる気になってもらわないといけません。そこからさらに周りの理解と支援をもらって環境を作る。それから母と渡の二人がリードをとりながら、周りにも手伝ってもらって周りを巻き込んで頑張らねばなりません。けど、このがんの検査や治療というのは、すでに病院という環境があり、専門医がいて、親友たちには話してあるので、支援者はすでにいます。あとは頑張るのは私だけです。「なんて楽ちんなんだろう!」と思ったら、私は笑いがこみ上げてきました。先生がちょっと「おかしくなったか?」と心配されたようなので、説明しました。

「先生、私には自閉症の23歳になる息子がいます。これまで一生懸命育ててきました。彼に何かしてもらう時は、彼自身に理解をしてもらって、やる気になってもらって、私や周りがいろいろお膳立てして励ましながらみんなで協力してやってもらう感じで、母としても毎日が必死でした。けど、このがん治療って、先生はもう治療なさってくれると決めているし、病院も全て準備してくださるわけだし、あとは私ががんばればいいだけなんですよね?先生が治療してくれるんだったら、もうこれ簡単かもと思ったので、そしたらシビアに考えていた私が笑えてきた。」といったら、先生大ウケ。

「そうだね。あなたの子育てよりは、比較にならないくらい楽だよ。」とニコニコと言われました。

 

4. 保険が効くかどうかをナースの方達が調べてくれます。それから治療なので、まってもらわなといけないといわれました。

 アメリカは自分が持っている保険によって効くかきかないか?が決まります。なので、大きな治療の前は保険カバーを何%するか?ということを明確にしないと、医療 破産がやってきます。なので、保険が効くということがわかってからの治療になるので、治療開始がいつか見えないということになりました。

 

以上が大体の話したことです。

最初に打つ薬の名前が日本でいうリツキサン。アメリカではリツキシマブといいます。最初に飲む薬を何ヶ月も服用し、体を薬をうけいれられるようになってから、通院して、リツキサンを投与します。投与の回数は最初の4回は、毎週。それから2週間ごとに2回。最後が1ヶ月ごとに2回になります。飲み薬のほうは、結構副作用が強いので、なにかあったら、とにかくすぐに連絡することといわれました。

 

これがこの日の病院で行われた説明でした。さてこの帰宅後のことは、後日記載です。

今、日本にきているので...。

5.私が悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話。告知前の検査はどうだったのか? 

5.私が悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話(告知前の検査について) 

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはでした。グレードは2でした。

 

いよいよ様々な検査に突入です。

4月の自分のお誕生日の前の日に

ウルトラサウンドに加えて、CTを取り、血液検査を行いました。誕生日当日にはさらに痛い腫れているリンパ節からの生検もしました。

この検査のために絶食等々があるので、お祝いらしいお祝いは何一つできませんでした。→

お誕生日に健康診断を入れてはいけない理由と明日の大学での遠隔授業

 

ブログにまで、誕生日に検診などをいれてはいけないとあげました。だって、最悪の結果は誕生日の日にわかってしまうのです。

思った通り、誕生日の日の朝、昨日の検査結果がオンラインの私の病院アカウント上に、あがり…..。思っていた通り、リンパ節が腫れている。がんの疑いありになりました。朝、自分の手でネットを立ち上げて、自分のアカウントをあけて「あぁ、血液のがんだ」とわかったその次の日は、大阪大学の授業でした。私がガンであろうがなかろうが、末期であろうがなかろうが、生徒の皆さんに取ってはいつも受けている授業の一コマ。4年間(多い人はもっと?)うける授業のたった1つの1コマの授業でしかありません。不思議と涙はでませんでした。それよりも生徒たちに伝えたい事があった。命は一つ。人生は一回。1日は24時間のみ。これだけは、人間としてうまれたら、みんな同じです。悔いのない学生生活を送ってほしい。というのを必死で伝えました。

いつもより、熱が入って、いつもより笑いをガンガン取っていく授業になった気がしています。

そのほかに検査で嫌だった事は、私の問題は、血管が普通の人より細いこと。なかなか針がはいらないので、何度もやりなおしです。これはもう小さい時からそうです。なので、片方の腕に針をさすものの、うまく入らず。もう一度左手を見せてといわれて、左手にもあざ一つ。また「わるんだけど、もう一回右手を見せてと」と右手にも針をさして、また血管にうまく入らない。こうやって、両手に注射針をどんどんさされて、いつも検査後には、両手はたくさんの紫色のあざが残りました。普通にみたら、なんかヤバい人みたい。(笑)

さて、誕生日の夜には、すべての検査結果が出揃い、ネットでみることができて、お医者様の診断は出てないので、私はどうも悪性リンパ腫であるということだけは、確実になりました。全身に広がっているのですが、ステージは今のところ、末期の手前という感じ。なぜ末期じゃないか?というと、まだ骨の生検(骨の一部をとって、がんが骨まで浸潤していないか?を調べる。)をおこなっていないからです。骨にくると悪性リンパ腫は末期になるようです。

結果をみてから、思ったことは、

「これって血液のがんだよね。白血病みたいなものだよね?白血病って美人がなるのに。本田美奈子さん、夏目雅子さん…..。みんな綺麗じゃん。ということは、私って美人だったのか?」とニンマリして思ったけど、私は、美人で得をしたっていうことも人生では、ほぼなかった気がする。なので、美人というのは、違う...。

「えっー、なんか、損!すごい損!!無駄死に?」

と自分で夜中に思って、私は、どこまで楽天家でバカなんだろうかと。一人で笑ってしまった

いやー笑っている場合ではない。どんな病気かは、調べねば。。。ここからずっとマックに向かう日々が続きます。

調べているうちにわかったのは、どうも白血病じゃなくて、悪性リンパ腫瘍の非ホジキンリンパ腫か、ホジキンリンパ腫ではないか?ということ。けど、日本人の女性では、1年間に10万人のうち数名しか罹患しない。普通は除外だなと思ったけど、当たり癖がある私。自閉症も産みあてたし(←これは今になっては本当に大当たりで、渡がいなかったらと思うとあまりにも辛すぎる。)、普通の検診の大腸ガン検診でも、医者がニキビみたいな良性のできものを切り取り、その先生が止血を忘れて出血多量で死にかけたし。香穂も生まれた時は、子宮が裂傷で、私もあぶなくて、香穂も仮死でうまれてきたし。もしかしたら、あたりかもしれない上記のように、私は医療関係は結構当ててる。と思い始めました。

ここからほとんど毎晩深夜2時3時まで、論文を読みまくり、体験談を読みまくる。やはり日本人の罹患率が低いため、アメリカ人やイギリス人の人たちの体験談のほうが、結構いろいろありました。担当医の論文まで読んでしまった。

Oncology(腫瘍科)の先生から連絡があり、5月にも検査をするので、様々な検査が終わった5月に、家族や大事な人が一緒に来れる日はいつか?夜遅くでも僕は出勤するので、夜でもいいよと言われました。香穂の卒業試験等々がまだあったので、香穂に近々で時間がある時はいつ?ときいたら、

「卒業式後の製作発表で入選したので、510日の香穂の大学院卒業式日かなぁ?卒業式の日は授業もなにもないので、一番確実。夕方になっちゃうけど。」ということでOncology(腫瘍科)の専門先生の家族への告知日がなんと香穂の大学院卒業式の日に決まりました。

 

<このころで助かったこと>

専門医の先生に診ていただく前に、ネットで見れる診査結果をナースの友達や医者の友達に読んでもらいました。私の予測はあたりで、ステージは末期に近い感じかな?という話でした。この時に、彼女から「とにかく敵をよく知り尽くさないといけない。あと、日本とは治療方法も薬も違うということをよく知らないといけない」という指摘。

この分野、新しい薬が本当にガンガンでてきていて、薬業界でどの会社が儲かっているか?のところまで突き止めて、ちょっとほっとしたりしていました。いろいろ読んでておもったのは、なぜか日本の体験記は、お医者様からの説明が少ない気がしました。本当に自分の悪性リンパ腫をしっかり把握している。と思える体験記がそんなに多くなかった感じです。

それに比べて、アメリカの体験記は、把握していない人もいるけど、まーよくお医者さんと話してるわーという感じがしました。暗い話もいろいろ見ましたが、あまり自分の病気を調べていないような人の体験記や思い込みの体験記は読まなかったことと、体験記で一喜一憂するのではなくて、なるべく引いて見るようにしました。それでも結構精神的には、辛いものです。日本のサイトでは国立がんセンターのサイトが非常にわかりやすく、良かったです。こちらです→国立ガンセンター 悪性リンパ腫

4.私が悪性リンパ腫の濾胞性リンパ腫の末期だった話

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。

前回からの続き

すぐに先生から電話があり、なるべく早く来てくださいとのこと。

数日後の201747日に先生の予約がとれました。

渡の主治医にもなっていただく私の新しい主治医のところに行くと、驚きの結果発表が。

「胃の後ろ全体に影があります。」影を見せていただいたけど、確かに影が大きい。すごく大きい。どんどんとリンパ節の触診がはじまります。「あっ、ここの首にもしこりが。あっ足の付け根にも。がんの可能性がありますので、すぐに腫瘍科の先生のアポイントメントをとってください、」とのこと。あっちゃー。まいったな。しょうがないので、自宅に戻って電話して予約を取ろうとおもっていたら、病院のほうから速攻で、電話がかかってきました。私が家に着いたのを見ていたの?という感じです。腫瘍科のナースからでした。一番早いCTやペットスキャンなどの予約を取りますとのことでした。この時に初めて

「あっ。こんなに早くことが進んでいる&病院から直に電話が速攻でくる、ということは、私のがんは本当のものなんだな。がんだと覚悟した方がいいんだな。」ということでした。ここから一気に生活が不安だらけになりました。

 

渡はどうするんだろう?香穂もまだ大学院を卒業していないし、就職も決まっていないし。510日の香穂の大学院の卒業式に私は参列できるのかな?きっと香穂の人生で最後の卒業式。うちの会社のアポイントメントは、どうしよう?新製品のアイデアはそのまま進める?今年のゴールはどうする?等々、色々なことが頭をよぎり始めました。とにかく、まずは娘の大学院の卒業式には、何があっても参列しよう!とは決めました。

そして、一番心配なのは、自閉症という障害がある渡のこと。

 

とにかく仕事に影響することは間違いないので、開発リーダーにすぐに報告&相談。

「本日より、由美さんの仕事のアポイントメントは全て取らない。今入っている分は、体調のいい時に全て終わらせましょう。」

という判断がすぐに下され、会社での決定事項になりました。

 

さらに、看護師のお友達と医者のお友達に連絡。幸い看護師のお友達はキモセラピー(抗がん剤治療のライセンス)のライセンスも持っていて、詳しかったです。キモセラピーには、私が行うであろう免疫治療もできるのです。

「とにかく冷静に。敵がわからないことには、戦うのか?戦わないのか?何もわからないのよ。」と言われて、そうだそうだ、なにもわからないのに、大騒ぎしても。と思いましたが、早く敵の姿を見たいと思うのが人情。

 

自宅で卒業課題をやっていた娘にも話しました。娘は驚いていましたが、大きな病気に関しては、いままで渡が小さいときに何度も死にかけているのをみているので、冷静で

「とにかくきちんと調べて、何が原因なのか?病気が何なのか?が、わからなければ、どうもできないね。調べて、結果がでるまで待たないと。皆、なにかあっても治療するために動いているわけだからさ。慌ててもね。」

一体何のがんなのか?ネットで調べまくる日が続きます。症状はなにもない。ご飯もいくらでも食べれる。どこも痛くない。

本当にがんなの?という日々がつづきました。ただ、リンフォーマという単語は結果から散見できたので、ここから私は悪性リンパ腫の論文を見つけては、読み始めていました。

 

<私の精神状態と欲しかったサポート>

まな板の上の鯉よりもたちが悪い感じで、気がおかしくなるくらいイライラしていて不安でした。早く知りたい。残りの命が短いのなら、その短期間で子供達にできることを全てしたい。会社のこともリーダーとじっくり話したい。けど、今、子供達に言うべきか?と悩むような日々….。一番精神的に辛かった時期でした。とにかく検査をはやくしてほしい、検査結果を知りたい。がんだとしても自分のガンの専門医と話し合っての治療方針が決まらないと、ことは何も動かないので、辛い日々が続きました。とにかく深夜まで論文を読み、どうも血液のがんじゃないか?という疑いがでてきました。

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3. 私が悪性リンパ腫である濾胞性リンパ腫の末期だった話

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはです。グレードは2です。(というか、今では、そうでした、になってしまいますが。)

20172 のこと

当時の主治医のところにこの日本での人間ドックの検査結果を持って行きました。

「日本は病気でもないのに、いろいろ調べるから、そりゃ何でもかんでも調べてたら、なんかでてくることもあるわよね。次回から日本にもどっても、しらべなければいいのよぉ。」

と言われました。あーやっぱり、そんなもんなんだな。たいしたことないんだぁぁー。とすっかり血液検査のガン腫瘍マーカーであるCA19-9の値が高いことは忘れておりました。

 

しばらくすると、医療保険に問題が起こり始めました。自閉症の渡の主治医と私の主治医は一緒で、主治医が方針を変えて、息子の証明書類などを取り寄せるのに、毎回お金が必要になってきたのです。健康診断の保険のカバーも無くなりました。渡はちょうど色々なプログラムの変更で、大量の医者の診断書が必要な時期で、「うっ、これは大変。財布が持たない」ということで、お医者さんを探し始めました。私のほうも、もう少し保険のカバー率の高いお医者さんを探した方がいいな。親子でこれだと医療費が大変になりすぎる。ということで、医者の変更を試みておりました。けど、どこも悪くもないのに、お医者さんを探すのは、骨が折れることです。病院は「なにもないのに、行くところではない」というのがアメリカの保険ですから。予防通院とか、なにかないかなーと、考えていたら、思い出した!とりあえず、「どうでもいいようにいわれていたCA19-9の話を持ち出そう!」と思い直しました。新しいお医者様もみつかったので、まずは私が受診。私が診てもらっていい先生だったら、渡の主治医になってもらうことをお願いしようと思いました。なので、受診の本当の目的は、私の中では、渡のお医者さん探しです。

201736

先生の予約がとれましたので、初めてご挨拶かねての診療。

先生はとても優しくて、話も的確。いい先生で、すぐに私は、

「自閉症の息子がいるのだけど、先生、主治医になってもらえますか?私も必ず診察の時にはついてきます。病院では暴れませんし、すごくいい子で受診できます。」と息子を売り込みながら(笑)コンディションなどを話したら、快諾していただきました。ほっとして私の一番大事な用事が終わりました。

 

あっ!そうだ、そうだ!忘れてた。私の事だー!と思い出し、先生にはCA19-9の値のことを話しましたした。大変気にしておられて、血液検査をして、数日後に超音波を行いましょう、となりました。どうも話を聞いていると、先生は日本人は胃がんが多いので、それを気にしておられる感じがしました。卵巣の事も色々聞かれました。けど、子宮はすでにないので、セーフ(笑)過去ブログ→

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なんだか、丁寧な主治医の先生だなーと思っていましたが、断る理由もないので、超音波を受診することに。

検査結果は、すぐに¥全てオンラインのポータルサイトで見れるので、いちいち先生のところにいって、「どうでしたか?」などと検査結果を聞く必要もなく、検査が終わってネットをひらけば、早い時は夜に、培養が必要なものは次の日か2日後には検査結果が自分で見れます。

再度の血液検査では、CA19-9の値は完全に平常値にもどっていて、もうCA19-9に関しては何も問題がないことが判明。やった!やっぱり前の主治医が言っていたことは正しかった。

 

ただ超音波の予約はいっぱい。いつでもいいよということだったのちょっと遅れてウルトラサウンドを受けたのですが、胃の後ろ側に影が見えることがわかりました。さらに胃から近い3箇所のリンパ節が膨らんでいることもわかりました。卵巣内かその近くにも、しこりが....。自宅に帰ってみたオンライン結果にも技師の方のコメントが、先生の判断を仰ぐこと。ドキドキしてきました。そこから、一気に私の回りが慌ただしくなりました。

 

<この時に欲しかった助け>

本当にガンなのかどうなのか?ということを早く知りたかったです。じりじりとしたなんとも言えない気分でした。お友達が私の馬鹿話に付き合ってくれたり、お友達と飲みに行ったりしたのが、唯一の心の安定剤でした。回りに当たっていたのかもしれません。このころ、回りの人で私に冷たくされたなーと感じた方、ごめんなさい。私、必死だったんです….。会社では、冷静を試みていましたが。

2.私が悪性リンパ腫である濾胞性リンパ腫の末期だった話

2017510日(水曜日)濾胞性リンパ腫(非ホジキンリンパ腫B細胞)の診断を受けました。ステージはです。グレードは2です。

これは血液のがんです。今は元気になっていますので、とりあえずこの珍しいがんの体験記を書いていこうと思い、あげていくことにしました。せっかくガン患者を体験したのだから、その時の自分の気持ちを主に上げていきたいなーと思っています。

 

<なぜガンがわかったのか?>

 <きっかけ>

2016年の11月のこと。日本に行く用事ができたので、日本訪問が決定しました。その時に私が共同創業者の開発リーダーに、

「日本に行くんだけど、今年のお正月に人間ドックに入ったので、もう健康診断はしないでいいよね?」と聞いてみました。なぜ、私が自分の健康のことをわざわざ開発リーダーに聞くか?というと、私と開発リーダーは弊社の筆頭株主で、どちらかに何かあった時は、間違いなく多大な迷惑がかかるからです。へたすると会社閉鎖もありえます。なので、「大病」というのは、自分たちの仕事まで脅かす、とても大変なことだからです。

リーダーの答えは、

「いえ、受けておいてください。その次に日本に帰れるのが今のところ、いつかわからないじゃないですか」

という答えでした。これはもう逆らえないので、「えっーー!!また人間ドック?」といやいや受診しました。病院が嫌な子供がぐずる意味がよくわかる….。この帰国の中には、不忍の池の近くにある寛永寺の書を持ち帰るという任務もあったので、人間ドックのことは、あまり真剣に考えていまでんでした。過去ブログ→

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健康診断の結果はすごぶるよく、私は健康診断でなにかひっかかるということは、まったくありません。メタボでもなく、血圧も安定。いつも健康体なので、何一つひっかかりません。医学の教科書に出していただきたいくらいです!

過去に一度だけ検診で大変だったことは、祖父母ががん家系なので、2016年にアメリカで行った大腸がん検診で、小さな良性の腫瘍がみつかったので、とりあえずとっておこうとなり、とった医師が、止血を忘れて2日後に大量出血になって緊急に運ばれて、死にかけたことぐらい(←これは後日、時間があれば、またブログにあげます。この時は、死亡危険率が60%だった模様です。とった腫瘍は悪性ではなかったという。)

 

ただ、今回の人間ドックでは、初めて血液検査でCA19-9 という腫瘍マーカーの値が、ほ~~~~んの少し高かった。がんになると、この値の桁数が変わるほど高くなるそうです。

お医者様からは、「たいしたことでないですが、アメリカに戻ったら、時間がある時にでも医者にいってくださいね」程度の話。私のお友達のお医者さんにも事情を説明したら、「たぶん内臓系なので、アメリカにもどったらみてもらったらいいよ。なにかあるといけないからね。急ぎではないと思う」とのことでした。

そんなこんなでアメリカに戻りました。

1. 私が悪性リンパ腫である濾胞性リンパ腫の末期だった話

告白ー実は私は悪性リンパ腫の末期でした...。2017年に診断されて闘病生活をしてましたが、昨年の2018年に完治宣言をお医者様からいただいたので、患者として、ありがたかったことや、望むことなどをあげていこうと思います。当分、このブログは、悪性リンパ腫の話になります。ということで、私は元気で生きています。もしなにかがあって、死ぬようなことがあったら、この悪性リンパ腫の書き込みを消しますので、このブログを読めている場合は、私が元気で生きています。さて、明日から、思いっきり書きます。

ディズニーの取り組みがすごいわ。

香穂が子供のころからの夢だったディズニーテレビに就職しました。

名札ももらって、感動。

けど、名札以外にいただいたものがすごかった。

でかいマグカップとシリアルを入れれるような陶器のボール。

人事課の人からの説明によると、

「ディズニーは環境汚染をしないように努力を重ねています。なので、社内でも社員の人には、陶器のシリアルボールを使ってもらって、紙皿や、プラステックのものは使わないようにお願いしています。なので、この食器を使って下さい」ということで支給されるらしい。すごい!!!!日本の一部上場企業にこの活動をお願いしたら、相当ゴミが減るだろうなーと思った。