自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

冷蔵庫の掃除って簡単にできた!

暑さも本格化してきたので、ノロウィルスとか、いろいろなウィルスが気になってきて、冷蔵庫の掃除。私はパーツを取り外して、冷蔵庫のパーツ類をオキシクリーン入りのお風呂に入れます。これです。

 

OXICLEAN(オキシクリーン) STAINREMOVER 4.98kg シミ取り 漂白剤

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 オキシクリーンは温かいお湯に効果を発揮するので、ぬるめのお湯をはりオキシクリーンをその中に少しいれるだけで、あとは簡単。かたっぱしからパーツをつけて置くこと20分。あとはお湯をぬいてシャワーをかけるだけで完了。

パーツを風呂からあげて拭いていたら、なにも言ってないのに、とことこと渡がやってきて、座り込んでパーツのお湯を全て綺麗に拭いてくれました。

ありがたい。あっという間に冷蔵庫内はピカピカ。安心して食料品をしまうことができます。あー気持ちいい。冷蔵庫も明るくなりました。

さて夏だ!

5kmマラソンに出て来ました!

5kmマラソンに出て来ました!開発リーダーが学位をとった出身大学でのランニングでした。これは肺高血圧症や、小児科の難病の子供達の資金集めのマラソンです。寄付は5000万円以上集まったそうです。これからLucile Packard Children’s Hospital(スタンフォード小児科病院)に寄付されます。

日本から戻って疲れているし、完走できるか不安でしたが、結構一定のペースで走り抜けることができました。

ゴール地点でみなさまの邪魔にならないように記念撮影。

結果がすぐに出て驚いたのが、なんと年齢別のグループで優勝しておりました。

最近走っても、結果が出るのが早い!

トータルで数千人が走ったので、混雑を避けるためにあとから表彰状が送られてきました。

やった!!素直に嬉しい私です。

 

 

大阪北部地震の続き

きのうの続きです。地震当日京都のホテルのロビーで待ち合わせして地下鉄まで2分もしない道を歩いて地下鉄に乗る私たち。私が

なんか、京都で震度5の地震があったのに、小学生が歩いて学校に行ってるよ。あっ、中学生も、高校生も。地下鉄もうごいてるってさ。

というとリーダーは、

立ってられないという感じではなかったですよ。たしかに強いなという感じではありました。けど、学校はあるみたいですし。バスも普通にうごいていますよ

たしかにいる場所がちょっと違うだけで、被害が違うのが地震。 サンフランシスコ地震の時は、私がいたホテル部屋は、1.5mの高さにあったテレビがおち、ベットサイドにある1mほどのおおきなランプが落ちて割れて、浴槽もわれたのですが、同じ敷地内で、被害が全くなかった部屋も結構あった。向きや場所によってもちがうのかも。と思いながらも一斉にSNSなどやニュースピックスや、ニュースダイジェストをプッシュにして地下鉄の中で一気読み。その間に、京都駅で取材で会うはずのクルーが大阪で足止めをくらっているので、キャンセルさせてくださいという連絡が。そのうち、新幹線がとまっていることもわかり、

やばい、これはただ事ではない。3人の人がお亡くなりになったという情報がある。

そんな中、京都駅についた私たち。一番にしたことは東京向けのチケットを買うこと。

新幹線が動き始めてからチケットを買おうとしたら、大行列になることは予測できたからです。そのままどの程度で新幹線がうごくのか?を聞きに行こうとおもってうろちょろするうちに、京都駅はすごい人の数になってきました。

JRの改札の方に人をかき分けかき分け様子を聞きに行ったら、もう質問する列みたいなのができていて、JRの人に質問できるのは、1時間後になりそうだなとおもったくらいでした。そのままここに並ぶのは、時間の無駄になりそうなので、すぐに近鉄京都駅に向かった。近鉄京都駅はさすがにJRほどひどくなく、関西弁の駅の方達が状況叫びながら教えてくださってました。

電車の復旧には数時間はかかること。最悪、今日は動かないこともあり得ること。

などが話されました。これは大変だ。京都駅にはどんどん人が増えてゆき、長期戦になるとわかった外国人の方はどんどん地べたに座り込んでいきます。なかには寝始める人も。私たちがここにいるということは、他に行くところがない人たちの邪魔をしているわけで。駅には歩くスペースもどんどんなくなってきたので、とりあえず、ネットでみながら新幹線が動く気配があったら歩いて戻れるところまで動こうとなりました。リーダーは京都はほぼほぼはじめてなので、この近辺であるけるところだと、三十三間堂、東寺、智積院の庭などがあるなとか話してました。

京都駅でまだ空いていたのが、京都案内所。そこへいって

歩いて行けるところで、開いてるところとかありますかね?

と聞いてみた。やはり回答は同じで、東寺や三十三間堂などがおすすめです。開いてるだ。ということにまずは驚き。東寺は、余震があったらこわそうだし、逃げれるところがすくないので、避難所にもできそうな三十三間堂まで歩きますか。となりました。2つ東京で会議があったので、それには間に合いたい私たち。けどいくら気をもんでも空港行きのバスもストップ、新幹線もダメ、私鉄も在来線も全てとまっています。どっぷりくらくなる気持ちを奮い立たせて、まずは三十三間堂。ここだと余震があってもすぐに庭に逃げれます。

とにかく、大阪人らしく、困った時こそ楽しくで、情報を見ながら三十三間堂を見ておりました。そんなところでも理系の人は理系でした。会話がはずまないのもなんだか気がおもいなーとおもってリーダーに

ねぇねぇ、こういう下駄箱にさ。番号を貼られると覚えやすい番号とか、さ。1番とか入れたくなるよね。

と話しかけて見た。

リーダーはいつものごとく、冷静に、

そうですか?

というので、

そうだよ。末広がりの8とかさ。覚えやすい1とかさ。2桁なんていやだよね、覚えれれない。

というと、ただ「へーーそうなんですか」と返された。えっ?そうじゃないの?と思う私。じゃ、開発リーダーは何番がいいの?

そりゃ、素数ですよね。

そすうだぁぁぁ?

やだ、そんな割り切れないきしょい数字に靴を預けたくないと思う私。

そろそろ12時になるので、戻りましょうということで京都駅に向かう私たち。駅はもう払う戻しや変更ですごい人たち。長蛇の列です。階段などには両はしに人が座って、在来線をまっているのか?近鉄をまっているのか?すごい人でした。

2時すぎ頃。やっと新幹線が動き出しました。ホームにいくと、1−3号車の自由席はすごい人。ホームから人がおちるんじゃないか?という感じ。じゆうせきから溢れた人が4号から7号の指定にいっています。グリーンの8号車のデッキにも人がたっておりました。のぞみ号は8−10号車がグリーンです。ところが指定席の11-16号に人がいないことを理解した私。

あっ!そうか!新幹線は全線運休ではなく、間引き運転で4時間遅れということで走っている!けど払い戻しには何時間も並ぶということは、まず間引きで走っている新幹線の多くの指定席は払い戻されている。さらに、現在14時で4時間半遅れている新幹線の払い戻された座席指定チケットは再発行されることがないのでは?

どういうことかというと、走っている電車は4時間遅れののぞみ。ところが、現在は、お昼の2時なので、4時間前の新幹線の指定席を売ることは今のJRのシステムから時計を戻して指定席を売ることになるのでは?今は不可能では?さらに、8−10号車のグリーン車があるので、みんなルール通りに自由席にのって溢れて、4から7の指定には入りきらない人が乗っているけど、さらに歩いて、11から16号の指定には乗らないのでは?

わかった!よし、11-16号に乗って、座席指定料を払えばいいわけだ!

というので、慌ててホームで11-16号に移動。のった新幹線。ガラガラ...。こんな感じで東京までつきました。

1−7号車はすごい人でした。

結局2つの会議のうちひとつはキャンセル。新幹線の徐行運行区間があってあったけど2つ目の会議には、1時間おくれで到着。キャンセルさせてもらった皆さますみません。

けどこの1日でネットの情報からすごい被害が出ていることがわかってきました。ショックすぎて、なかなか元気が出ない私。すごい体験の1日でした。

改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。あの地震で亡くなられた方がいらっしゃると思うと、思い出しただけでも涙がでてくる感じの日々です。

大阪北部地震にあいました。

実家でのオフの数日もおわり、さて、お仕事開始です。実家がおわってからのお仕事は、京都です。Voice4u 株式会社(日本)は、京都に設立されることが決定したので、京都です。取締役でもある id:reikon (彼女のブログはこちらです→Tapestry) からホテルも紹介してもらって、京都宿泊です。なんと紹介してくれたホテルが昔家族で泊まったことがあるところで、もう嬉々としてしまう私。まだあるんだ、あのホテル!大喜びでチェックイン。

ところが最初、ホテルがわかりにくかった。ホテル自体に周りに足場が組まれ、ホロをかぶっていたのです。

チェックインの時に

久保様、当ホテルは現在耐震工事中ですので明日の昼間はうるさいかもしれません。

とのことでした。全く気にせず、部屋にはいると、部屋の中は、当時よりも綺麗になっておりましたが、当時のことを思い出し、ゆっくりと 思い出に浸っておりました。日々があまりに忙しく、自分が育ったの家族のことなどをゆっくり思い出したりする時間とかあまりないので、いい時間になって幸せなホテル。いやー、これはすごく贅沢な時間です。

けど、夕飯前の集合時間は、せまってきたので、ホテルロビーに集合です。開発リーダーも愛媛からやってきました。夜の会合にでて、お仕事終了。

朝も同じくホテルのロビーに集合ということだったので、「じゃ、8時すぎにねー!!」とみんなと別れて、部屋へ。

いやー京都の料理は美味しかった、最高だった。と感動しながら、また思い出に浸って寝ておりました。いいわーこういう時間...。贅沢、贅沢...。

さて、6月18日朝。8時すぎにロビー集合だというので、私は部屋でパッキングも終えて、部屋の鍵も握りしめ、さて1階にいくかーと思った途端、突き上げタイプの立て揺れ地震が。サンフランシスコの地震を体験している私は、突き上げ式は被害が大きくなると思っていて、あっ、これは大きい...と思いました。立っていられなくなって、慌てて掴んだのは、足にローラーがついてる椅子。

いや、それダメだろう、私...。揺れる、ゆれる..。あわてて部屋の扉をあけて、逃げ道を確保。余震の様子を見ておりました。大きな余震がこなかったので、あわてて階段を駆け下りてロビーへ。

外国人のお客さんが多く、ごった返しておりましたが、とにかくチェックアウトの手続きを。その時に、ゆっくりとやってきたリーダー。

ゆれましたね。

と、ひとこと言ったかと思うと、フランスからおこしの観光客の方が知的障害を持つ成人の娘さんと裸足で立ってたのに、私とリーダーが同時に気がついた。娘さんはタオルをにぎりしめたまま視線が定まらない感じです。さぞかし恐ろしいのだろうと思ってたら、すぐに開発リーダーが英語で声をかけておりました。あっ、情報がわかると思った外国の方達は、みんな開発リーダーに話しかけるのですが、開発リーダーは、すぐに丁寧にフランスからお越しで障害のあるおこさんを抱えているお母様に地震の説明。親子は初めて地震を体験したそうで、開発リーダーの説明をきいて、相当ほっとしておられました。けど、彼女のどうしても知りたいことは

次の地震はいつくるか?

でした。もうしわけない...。それが今すぐわかれば、開発リーダーは、今、ここにはいないと思う。どこかで地震の研究をしてるかノーベル賞をとっているだろう...。かのじょには、エレベーターなどは使ってはいけないと基本的な説明をしておりました。さて次の取材先の京都駅に行かねばなりません。開発リーダーは揺れは感じだけど、私のような突き上げ式は、ほぼ感じなかったそうだ。同じ京都でも向きや建物の位置などでこんなちがうのねーと話しながら、動いていた地下鉄にのりました。こんな呑気な私たちに地震の続報がどんどんはいってきて、自分たちも動けなくなって困るのは、地下鉄の中でだったのです...。ということで、続きは明日。

 

 

渡が持って来てくれたすごい出会い。 #ちょっといい話

ずいぶん昔の話。渡がまだ家族の名前を言えない、認識できなかった頃の話。せめてお姉ちゃんの名前でも覚えてくれないかあ?と思っていた頃の話。

お姉ちゃんは渡をすごくかわいがっているので、名前も呼んでもらえない、認識してないって悲しいだろうなーと思っていた時期が長くありました。どうしたら覚えるんだろうか?どうしたらお姉ちゃんの名前だけでも言えるのだろうか?書いて練習しても、ただ書けるようになるだけで、香穂とは結びつかないだろう....。

といろいろ考えいていたら

そうだ!渡に朝と夕飯時の御膳のセットをしてもらえばいいんだ!それでお茶碗に名前がはいっていれば、もしかして何年かやっているうちに覚えるかも。

そう思った私は、お茶碗に名前を入れてくれるところを探しておりました。

学生の頃から砥部焼のファンだった私。部活動は自転車部だったので、いろいろなところを自転車で走っていたのですが、四国を走った時に砥部焼を買って来たことがあったのです。あたたかくて、手触りもよく、冷めない。デザインもシンプルで綺麗。渡が触っても割れにくい。持っていてもおしゃれ。早速、砥部に連絡をとって見ました。

連絡をとったところはここ→砥部焼観光センター炎の里(えんのさと)

いろいろ事情を話し、渡のことを説明すると、名入れをして焼くまでに1ヶ月かかりますが、海外まで送ってくださるということでした。それで注文したお茶碗や湯のみはこちら。

この砥部焼が着いてから、朝晩家族の席にお茶碗をならべていると、あっという前に名前を覚え、「かほ、ゆみ」と言えるようになりました。この時の私たちの喜びは表現できないほどのものでした。

いつか炎の里にいって、私たち家族の名前を渡が言えるようになったこと、渡がお茶碗や湯のみをすごく気に入っていること、嬉しそうに家族のためにお毎晩お皿を並べることなどを伝えて、しっかりお礼を言おうと思っておりました。重度の自閉症を持つ家族にとって、本人が家族の名前をおぼえてくれるのは、想像を絶するくらい嬉しいことですから。

けど、本当に愛媛に行けるチャンスがあるのか?と思っておりましたが、人間、生きているとチャンスというのは来るもので、先日愛媛県に仕事で行くことがあり、午後すぎから時間が空いたので、松山市内であわてて手土産を買い、1時間に1本しかこないバス乗り込みました。バスの運転手さんに「炎の里には行きますか?」と聞いたら、行くとのこと。やった!

渡のおちゃんわんなどを注文した頃の人は、もうどなたも働いてないかもしれない。けどとにかくお礼だけは伝えたい。今働いている人たちにも、砥部焼がこんなに私たち家族を幸せにしてくれたのでと伝えたい。

 

と思い。

ゆらゆらゆられてどんどん田園風景になり、30分ほどすると、山の中の小さなバス停に到着しました。バスの運転手さんが

ここで降りるといいと教えてくださって、無事に 

砥部焼観光センター 炎の里 - ホーム | Facebook

に到着。砥部町って、こんなところ。

多くのお客さんがいらしてたので、少しお客さんの波が引いたところで、従業員の方に、ずいぶん昔に自閉症の渡が家族の名前を覚えるために名入れをしてもらいアメリカまで送ってもらった久保です。と説明しました。

従業員の方が「あぁ!!」と覚えてくださっていて、ちょっとこちらへ....と案内してくださって、工場の方に連れて行ってくださいました。なんと絵つけをしてらっしゃる渡邊隆さんがおいででした。渡邊さんは30年ほど絵付けをしてらっしゃって、

覚えてます。海外からの注文は入るのですが、カタカナか英語なので、ひらがなでお名前を書いて、アメリカ送りは珍しいかったので。

とおっしゃってくださいました。その後の渡の話をすると

それはよかったですね。渡くん、すごいですね。

とおっしゃってくださって、いえいえ、砥部の皆様のおかげです。ということを言いながらもう目の前は涙で霞んできた。こんなに遠いところの方達が協力してくださって、渡が家族の名前を一人一人呼べるようになったんだ。これほど暖かい人たちのおかげで、家族の名前を呼ぶ渡の言葉が、声が、織り出されているんだと思うとウルウルとしてしまいました。

記念撮影もさせていただきましたが、ネットにあげていいかどうか?を聞くのを忘れた私。どうぞ皆さま。この暖かくて、素敵な砥部の町にぜひ訪れてくださいませ。

絵付けの体験などもできます。

渡邊さん、みなさん、本当にありがとうございます。

 

 

懐かしい人にあった!

懐かしい人、訪問編です。日本で、はてなの元創業者の近藤令子さんとうちの開発リーダーと一緒に伺った先は、元はてなの id:kiyohero くんが今務めるオフィス。今は、Newspicks におられます。実は、私と開発リーダー id:seihiguchiVoice4uを作るきっかけになったのは、JTPAというNPOの活動がきっかけです。ここで開発リーダーとあったわけです。JTPAでは、当時シリコンバレーツアーというのもやっていて、その時に参加者としてやってきたのは、id:kiyohero くん。いやー私にとっては我が子のような存在です。

きよへろくんがはてなをやめるときに、周りがからかって、

きよへろくんは、はてなダイアリーもまともに書けない顧客の問い合わせが嫌で、やめるんだってさ。

という冗談を言った人がいて、私はこれを真面目に信じてしまい、「あぁ。はてなダイアリーで足をひっぱっているのは、私のことだ!!」真っ青になって、心が痛みました。ダイアリー開設当時、本当にネット周りに弱く、はてなダイアリーのあげかたもわからず、 id:kiyohero くんに色々聞きました。もともとネットの知識はゼロ。例えて言うなら、髪の毛を揚げちゃいました?と聞きたくなるようなパンチパーマで、白い割烹着きてカゴを持ち、商店街で立ち話するような「はぁ?機械ってなんなの?」みたいな感じの昭和のおばちゃんが、突然テスラ運転するとでもいいましょうか?それくらい最初はわかりませんでした。けど、自閉症の子育てだっておもしろいこともあるんだよ。ということを、発信したくってがんばりました。きよへろくんは、嫌な顔ひとつせず(メールで問い合わせたので、顔はみえないけど)答えてくれて、何度かくじけそうになったダイアリーは続き、Hatenaブログへの引越しまでしてしまいました。これ、id:kiyohero くんがいなかったら続いてなかったブログです。本当にありがとうございます。そんな彼もNews Picks ですごい人となって働いておりました。はてなも私のせいでやめたわけじゃないこともはっきりしました(笑) 12年ぶりかな?会えたの。うれしかったわー。

新しく私たちが着手したお仕事の話などもして楽しく終わりました。