自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

渡が持って来てくれたすごい出会い。 #ちょっといい話

ずいぶん昔の話。渡がまだ家族の名前を言えない、認識できなかった頃の話。せめてお姉ちゃんの名前でも覚えてくれないかあ?と思っていた頃の話。

お姉ちゃんは渡をすごくかわいがっているので、名前も呼んでもらえない、認識してないって悲しいだろうなーと思っていた時期が長くありました。どうしたら覚えるんだろうか?どうしたらお姉ちゃんの名前だけでも言えるのだろうか?書いて練習しても、ただ書けるようになるだけで、香穂とは結びつかないだろう....。

といろいろ考えいていたら

そうだ!渡に朝と夕飯時の御膳のセットをしてもらえばいいんだ!それでお茶碗に名前がはいっていれば、もしかして何年かやっているうちに覚えるかも。

そう思った私は、お茶碗に名前を入れてくれるところを探しておりました。

学生の頃から砥部焼のファンだった私。部活動は自転車部だったので、いろいろなところを自転車で走っていたのですが、四国を走った時に砥部焼を買って来たことがあったのです。あたたかくて、手触りもよく、冷めない。デザインもシンプルで綺麗。渡が触っても割れにくい。持っていてもおしゃれ。早速、砥部に連絡をとって見ました。

連絡をとったところはここ→砥部焼観光センター炎の里(えんのさと)

いろいろ事情を話し、渡のことを説明すると、名入れをして焼くまでに1ヶ月かかりますが、海外まで送ってくださるということでした。それで注文したお茶碗や湯のみはこちら。

この砥部焼が着いてから、朝晩家族の席にお茶碗をならべていると、あっという前に名前を覚え、「かほ、ゆみ」と言えるようになりました。この時の私たちの喜びは表現できないほどのものでした。

いつか炎の里にいって、私たち家族の名前を渡が言えるようになったこと、渡がお茶碗や湯のみをすごく気に入っていること、嬉しそうに家族のためにお毎晩お皿を並べることなどを伝えて、しっかりお礼を言おうと思っておりました。重度の自閉症を持つ家族にとって、本人が家族の名前をおぼえてくれるのは、想像を絶するくらい嬉しいことですから。

けど、本当に愛媛に行けるチャンスがあるのか?と思っておりましたが、人間、生きているとチャンスというのは来るもので、先日愛媛県に仕事で行くことがあり、午後すぎから時間が空いたので、松山市内であわてて手土産を買い、1時間に1本しかこないバス乗り込みました。バスの運転手さんに「炎の里には行きますか?」と聞いたら、行くとのこと。やった!

渡のおちゃんわんなどを注文した頃の人は、もうどなたも働いてないかもしれない。けどとにかくお礼だけは伝えたい。今働いている人たちにも、砥部焼がこんなに私たち家族を幸せにしてくれたのでと伝えたい。

 

と思い。

ゆらゆらゆられてどんどん田園風景になり、30分ほどすると、山の中の小さなバス停に到着しました。バスの運転手さんが

ここで降りるといいと教えてくださって、無事に 

砥部焼観光センター 炎の里 - ホーム | Facebook

に到着。砥部町って、こんなところ。

多くのお客さんがいらしてたので、少しお客さんの波が引いたところで、従業員の方に、ずいぶん昔に自閉症の渡が家族の名前を覚えるために名入れをしてもらいアメリカまで送ってもらった久保です。と説明しました。

従業員の方が「あぁ!!」と覚えてくださっていて、ちょっとこちらへ....と案内してくださって、工場の方に連れて行ってくださいました。なんと絵つけをしてらっしゃる渡邊隆さんがおいででした。渡邊さんは30年ほど絵付けをしてらっしゃって、

覚えてます。海外からの注文は入るのですが、カタカナか英語なので、ひらがなでお名前を書いて、アメリカ送りは珍しいかったので。

とおっしゃってくださいました。その後の渡の話をすると

それはよかったですね。渡くん、すごいですね。

とおっしゃってくださって、いえいえ、砥部の皆様のおかげです。ということを言いながらもう目の前は涙で霞んできた。こんなに遠いところの方達が協力してくださって、渡が家族の名前を一人一人呼べるようになったんだ。これほど暖かい人たちのおかげで、家族の名前を呼ぶ渡の言葉が、声が、織り出されているんだと思うとウルウルとしてしまいました。

記念撮影もさせていただきましたが、ネットにあげていいかどうか?を聞くのを忘れた私。どうぞ皆さま。この暖かくて、素敵な砥部の町にぜひ訪れてくださいませ。

絵付けの体験などもできます。

渡邊さん、みなさん、本当にありがとうございます。