自閉症 渡の宝箱

自閉症の渡が、日々起こす騒動や療育についてとシリコンバレーでの起業、生活を綴っています。

自閉症の息子が大学に通って思った事

息子が9月から大学に通い、後期が終わります。

小さいときに重度の自閉症認定を受け、高校まで自閉症専門クラスにおりました。それもシリアスな子供が多いクラス。けど、数学が好きで、高校の半ばから急に

「僕は大学で数学を勉強する。」

と頑に言い始めました。

最初にこれらしき事を言い出したのは高校の最初の頃だったと思う。

渡に数学を教えてくれていた開発リーダーが、スタンフォード大学で学び博士号を持つ、ということをうちに来た人たちが話していた会話から漏れ聞いて頭に残った言葉のようです。渡の中では「スタンフォード」というところに行けば、どうも開発リーダーと同じになれるというふうに理解した模様。どういうところか解っていたかどうか?は謎。

渡は数学を教えてもらっていた開発リーダーに憧れていて、彼が数学を教えに来たときに黄色服を着ていたら、あわてて自分も部屋にもどって、黄色い服に着替える、ということをしていたくらいでした。開発リーダーがお手洗いにくと、教科書と机をもってついていこうとする始末でした。

やはり、どんな問題も確実に、問題をすらすらと早くといて、回答がでてくるのを見てしまってから、すっかり虜に。


福祉サービスを下さる方のインタビューでも

「渡、好きな事はなにかな?」と渡の趣味を聞き出そうとして質問すると、

「数学」

という始末。福祉の方は笑って、

「そうか、勉強は数学が好きなのね。じゃ遊びではなにが好きかな?」

「数学」

「いやー...。じゃ、渡が毎日やって楽しい事は?」

という言葉にキレた渡。

でかい声で

「数学。二度と聞かないで。」

と答えてました。

さすがに福祉の方も困って、

「じゃ、将来なにをしたいかな?」と言う言葉に

スタンフォードに行く」

でした。福祉の調査の方には、

「お母さん。もう少し、落ち着いて、現実的な将来を息子さんに話してください。」

と、どうもステレオタイプでアジア人の教育ママと思われてしまったみたいでした。私は

「私は息子に大学で数学をしろと強要した事もないし、スタンフォード大学を目指せといったこともない。」

と言ったのですが、どうも信用されず。鼻で笑われました。

この話を娘と開発リーダーに言うと娘は

スタンフォード大学かぁ。しゃーないわなぁ。」と笑ってましたが、開発リーダーだけが笑わず、

スタンフォード大学にもオープンカレッジ(一般の人に解放される授業)があります。渡君は今、15分座るのがやっとですが、2時間、多くの人と一緒の教室で座れるようになれば、スタンフォードで授業は受けれます。渡君は学位が欲しいと言っている訳でもないですし。スタンフォードで授業を受けたいだけだったら、目標をそこにおけば、彼の夢は叶います。誰だって夢をかなえるという努力をしてもいい訳ですし、もちろん渡君が自分の夢をかなえるために周りがサポートすることは、いいことではないでしょうか?渡君の夢を笑うのは失礼です。夢を持って生きれない人も居る中で、しっかりと自分の夢と目標を持って生きてる訳ですから。応援しましょう。

と真剣に言われました。あぁ、そうか。と思い、進路の変更を始めました。

現在は大学では、職業訓練のようなことと、大学の授業をこなす事をやっていますので大変な毎日です。

けど、授業も最近は積極的に参加できるようになってきました。


現在の大学では、すべてがスムーズか?というと、そんなことはありません。こういう自閉症の生徒が大学に通うのには、まだまだ整備がなされていません。

たとえば、息子は、集中しすぎると筋肉が固くなるので、40分くらいのところで、のびをします。そうするとどうしても周りの生徒にのびをした手が当たってしまう。自閉症の子供の動きがパキパキしているように見えるのはこの筋肉の固まりのせいではないか?と疑う私。小学校の頃の先生は、そのことをみこして、一定の時間がきたらクラス全員でストレッチをしていました。

他にも問題は、難しい課題に取りかかる前に、揺れるのです。これも周りの人は怖いし、気が散ることでしょう。

こういうのもちょっと隣の人が肩をたたいてくれれば、収まる事ですが、サービスカットのカリフォルニアでは、介護の人をつけるのは非常に難しい。私自身も「渡の肩をすこし叩くだけのために、介護の人が教室にやって来る」というのもなんか違う気がします。

ならば、と考えるのですが、現在はデータ収集は簡単にできるので、障害のある人が大学に入学した時に必要なサポートを徹底的にすべて吸い取り、(この吸い取り方も別の機会に話しますがここでは長くなるので、割愛。)クラス内でできるような簡単なことは、彼等の出る授業内で、それを分散してサポートしてくれる人を探しだすのが一番いいかと。具体的に言うと、データ分析をして、授業の最初にプロジェクターで白板に映し出す訳です。それでみんなで仕事を分散する。

たとえば、鉛筆が持てない人には

  • ノートをとってくれる人(カーボンをわたして、二重になるようにしてもらう)を探す(もしくは、給料を払うか学費が安くなる)

自閉症の人の例だと

  • 隣の子がノイズをたてたら、肩を軽く叩く。
  • 質問ばかりしてしまうこどもに軽くたしなめる。

などなど。各自が必要なサービスが授業初日に出されるようにします。

ちょっとしたことを助けた生徒には、優先的に5点とかのポイントが貰えるとか、就職の推薦状の時に有利になるとか。助けた生徒がポイントが貰える理由は

「クラスのみんなが、積極的に授業に参加できるように協力した。」ということですね。

助ける事を明確にすることにより、みんながスムーズに授業も受けれるし、障害のある人も助かるし、助けた生徒は、自分が人様の役に立つ訳ですから、嬉しいのではと思います。

これだとクラスに一体感が出ますし、信頼関係もうまれるのでは?と思います。

「いやー、点数目当てでやられても」と言う声も聞こえそうですが、私自身、20年以上、ボランティアに携わって来て思う事は、最初から聖人君子のような理由でボランティアをする人は少ない。ということです。

  • 友達につれられて来た。
  • ただ飯をくれると聞いたので来た。
  • かわいい女の子がいるときいたのできた。
  • 目当ての異性がここでボランティアしてたので、きた。
  • 彼女がここでボランティアをやってるから。
  • 学校でボランティアを○時間しないといけないといわれたから。

さまざまな理由がきっかけですが、そのままボランティアがおもしろくなって残る人が多いのも事実。きっかけよりも、そこで何を学ぶのか?どういうことを感じるのか?のほうがもっと重用視されるべきかと。

そういうことが大学でできればなーと思います。

ちょっと思った事でした。